四国霊場 国史跡「その2:境内『11か寺』はここだ!!」

<<=トップ戻る  <<=その1

更新日:2021/12/26

近年、四国霊場に関する「国史跡」の記事をよく目にする。 今回、国史跡について調べてみた。 現時点で国史跡は30か所?。内訳は「遍路道:19か所?」&「境内:11か寺」
へんろの里は11番札所門前に位置している。昨年は毎日のようにへんろの里前を徳島県、吉野川市の車が行き来していた。何故❔。藤井寺の「国史跡指定に向けての調査」を行っていたのかな???。 その背景には世界遺産登録に向けた取り組みも有るのかな???。
四国霊場が国史跡に指定されている「境内:11カ寺」に関する資料はウィキペディア等を参照しました。

①.04番札所大日寺境内(2019.10.16)

山門(鐘楼門) - 2018年春に改築。旧山門と同じく、下層は角柱で上層は丸柱の造りとなっている。
本堂:慶安2年(1649年)建立、寛政11年(1799年)修復。本尊は住職でも住職交代の折の人生2度しか見られない秘仏で、像高56cm、坐奥32.7cm前立仏と同じ大きさで金色に輝く、推定応永14年(1407年)作。その本尊が修繕を期に2017年の3月から12月の毎月28日開帳された。また、木彫りの前立仏は真鍋俊照(前住職)が着任の時に新造された。
大師堂:文久3年(1863年)9月建立。本尊は弘法大師、脇仏は弥勒菩薩坐像と不動明王坐像でいずれも拝観できる。また、昼と夜の大師を表現した白地と紺地に描かれた二枚の「両面大師」画は前住職が新たに描いたもので拝観できる。
護摩堂:下記の回廊の背後にあり、境内からは見えない。それまで大師堂で護摩を焚いていたが、前住職の着任を機に当堂を新築し京都から不動明王坐像と二童子像を迎え、大師像など諸仏に気兼ねなく護摩を焚くことができるようになった。
回廊:本堂と大師堂をつないでいて、弁財天女(石造)、青面金剛、そして、三十三体の西国霊場の観音菩薩像(江戸時代中期の明和年間(1764年 - 1772年)に大坂の信者が奉納したとされる)が安置され、令和2年(2020年)秋に修復が完了した。

②.05番札所地蔵寺境内(2019.10.16)

阿波遍路道 地蔵寺境内:約3万6千㎡。 2019年10月16日指定
国の登録有形文化財
 本堂 (以下5件2011年1月26日登録)
 不動堂
 大師堂
 経蔵
 五百羅漢堂(奥の院)

③.14番札所常楽寺境内(2021.3.26)

阿波遍路道 常楽寺境内:2021年3日26日指定(史跡「阿波遍路道」への追加指定)
国の登録有形文化財
 本堂(2011年7月25日登録)
 大師堂(2011年7月25日登録)

④.20番鶴林寺境内(2017.2.9)

「鶴林寺境内」(勝浦町)は第20番札所鶴林寺の境内地約4.6ha。標高490m付近に位置する山林寺院で,参道である鶴林寺道(国史跡)に建つ南北朝期の丁石が歴史の古さを物語る。

鶴林寺仁王門(2016.3)
鶴林寺仁王門(2016.3)

静寂できれいに清められた参道(2017.7)
静寂できれいに清められた参道(2017.7)

⑤.21番太龍寺境内(2017.2.9)

「太龍寺境内」(阿南市)は第21番札所太龍寺の境内地約6ha。標高約500m付近に所在する山林寺院で,「三教指帰」に登場する,史料上確認できる数少ない,空海修行の地である。鶴林寺とともに札所寺院として四国遍路の成立や発展過程を考える上で重要であり,諸堂と周辺の山林が一体となった景観は往時の四国霊場の趣を現在に伝える。
国の登録有形文化財
 本堂:嘉永5年(1852年) (以下9件平成25年6月21日登録)
 大師堂:明治10年(1877年)建立
 御影堂:明治11年(1878年)建立
 護摩堂:明治34年(1901年)建立
 多宝塔:文久元年(1861年)建立
 六角経蔵:安政3年(1856年)建立
 本坊:明治28年(1895年)建立
 仁王門:文化3年(1806年)建立
 鐘楼門:明治36年(1903年)建立[

階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)
仁王門階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)

21番札所太龍寺太子堂(2017.7)
21番札所太龍寺太子堂(2017.7)

⑥.22番札所平等寺境内(2021.10.11)

22番札所平等寺は広さが約5600平方メートル。令和3年10月11日指定。

⑦.35番札所清滝寺境内(2021.10.11)

35番札所清滝寺は令和3年10月11日指定

⑧.稲荷神社境内及び41番龍光寺境内(2017.6)

四国八十八ケ所霊場第41番札所龍光寺は、愛媛県宇和島市三間町字戸雁に所在する真言宗御室派の寺院で、江戸時代までの神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。明治時代初期の神仏分離までは稲荷社が札所であった。
稲荷神社本殿等の建築様式から18世紀後半の建築とされ、隣接する旧観音堂(現廣田神社)の建物も、その建築様式から18世紀初頭とされており、江戸時代中期には稲荷社としての今日に続く景観が成立していた。なお、江戸時代前期には既に、「立光寺」という名前で神宮寺としての龍光寺が成立していた。

参道。正面は神社。札所はどこ???
参道。正面は神社。札所はどこ???

墓地から龍光寺全景(21016.12)
墓地から龍光寺全景(21016.12)

⑨.43番札所明石寺境内(2019.6)

43番札所明石寺は、天台寺門宗(てんだい・じもんしゅう)の寺院で、四国霊場第43番札所として知られています。古くから当地の有力寺院としての歴史を有するほか、修験(しゅげん)の寺であったという点でも貴重で、九州の遍路の出入り口であることから、四国遍路と九州との関わりを解明するうえでも重要です。

⑩60番札所横峰寺境内(2017.6)

四国八十八ケ所霊場第60番札所横峰寺は、愛媛県西条市小松町石鎚にあり、真言宗御室派の寺院で石鎚信仰にもかかわる霊場である。その創立については、明確な史料を欠いているが、同寺に所蔵されている金銅蔵王権現御正体(みしょうたい)(愛媛県指定有形文化財(工芸品)、昭和40年4月2日指定)は鍍金銅製で、平安時代末期頃の製作と推定されており、その頃までに石鎚山を信仰の対象とする山岳信仰の霊場として成立していた可能性が高い。
明治時代の廃仏毀釈により廃寺になるが、明治末年に現在地に復興され今日に至っている。

横峰寺仁王門(2016.4)
横峰寺仁王門(2016.4)

横峰寺本堂(2016.4)
横峰寺本堂(2016.4)

⑪.75番善通寺境内(2017.6)

善通寺境内 - 「讃岐遍路道 曼荼羅寺道 根香寺道」に、東院と西院とそれをつなぐ参道と香色山の一部を除く全山など約22万5300平方メートルが追加指定され、名称は「讃岐遍路道 曼荼羅寺道 善通寺境内 根香寺道」となる。平成29年10月13日追加指定

南大門と五重塔(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)

重要文化財 本堂(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)

<<=トップ戻る


にほんブログ村 旅行ブログ 遍路・巡礼へ

にほんブログ村

お遍路 ブログランキングへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です