四国霊場にある「『国指定 有形文化財』はここに!」

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ブログUP日:2018/01/22

四国霊場にある「国が指定した有形文化財 『重要文化財』」は何処に。仏像等の重要文化財は日常拝観することは出来ないので、このコーナでは拝観できる建造物中心に取り上げる。

重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。

国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。


四国霊場にある「国宝」は3か寺
・51番札所石手寺二王門
・52番札所太山寺本堂
・70番札所本山寺本堂
「重要文化財」は15か寺に34点
・徳島(1か寺):10番切幡寺
・高知(2か寺):29番国分寺,31番竹林寺
・愛媛(4か寺):45番岩屋寺,49番浄土寺,51番石手寺,52番太山寺
・香川(8か寺):68番観音寺,70番本山寺,75番善通寺,80番国分寺
□□□□□□:81番白峯寺,84番屋島寺,86番志度寺,87番長尾寺


1.10番札所切幡寺(重要文化財大塔

 大塔:建立1618年。大阪住吉大社神宮寺の西塔を明治初年に移築したものである。初重方五間、二重方三間の二重塔で、平面及び形態ともに特異な遺構で、全国唯一のものである。このような塔は天台宗関係に存在したことが推定されるので、日本における塔の意義と歴史を考える上に重要な資料を提供するものである。
切幡寺重文二重塔(2016.2)
切幡寺重文二重塔(2016.2)

2.29番札所国分寺(需要文化財:本堂/梵鐘)

本堂:杮茸、寄棟造。永禄元年(1558年)長曾我部国親・元親親子の建立。明治37年8月29日指定
梵鐘:平安時代前期の作、口径47cm、高さ63.8cm、重量225kg、昭和31年6月28日指定 (Wikipedia)
萱葺きの本堂(2016.6)
萱葺きの本堂(2016.6)

3.31番札所竹林寺(重要文化財:本堂&書院)
本堂:入母屋造、杮(こけら)葺き。桁行・梁間とも5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。扉に桟唐戸を用い、垂木を扇垂木とし、組物は二手先の詰組とするなど、細部には禅宗様建築の意匠が用いられている。内部は中央の方三間を内陣、その前方を内陣、両脇を脇陣、後方を後陣とする。内陣には本尊文殊菩薩像を安置する厨子を置き、内外陣の境には蔀(しとみ)を入れる。建立年代は、同じ高知県内の土佐国分寺金堂との比較から、室町時代と推定されている。
書院:江戸時代後期・文化13年(1816年)建立、玄関は切妻造り、車寄せは唐破風造り、主屋は入母屋造り。藩主参詣の際の接待殿として造営。2017年指定 (Wikipedia)
本堂(2016.6)
竹林寺本堂(2016.6)

4.45番札所岩屋寺(需要文化財:大師堂)

大師堂:大正9年(1920年)の建立。設計は愛媛県出身で大蔵省営繕管財局技手などを務めた河口庄一、大工は窪田文治郎らである。宝形造、銅板葺き。正面の向拝の柱は左右とも双子柱とし、母屋の四隅は3本組の柱とする。これは伝統的仏堂建築にはみられないものである。向拝柱は上部を細くしたエンタシスとし、柱上部にはバラの花と房飾りを彫り出し、柱下部にはフルーティング(溝彫り)を施すなど、随所に西洋建築のディテールを取り入れている。伝統的仏堂建築に新様式を取り入れた、近代仏堂の代表作として、2007年に国の重要文化財に指定された。(Wikipedia)
太子堂(2016.4)
岩屋寺太子堂(2016.4)

5.49番札所浄土寺(重要文化財:本堂)

本堂(附:厨子):文明16年(1484年)建立、昭和28.3.31指定
(Wikipedia)
浄土寺本堂(2016.5)
浄土寺本堂(2016.5)

6.51番札所石手寺(国宝:二王門。重要文化財:本堂他6点)

国宝二王門 :三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き。『伊予古蹟志』に文保2年(1318年)の建立とある。様式的にもその頃の建立とみられ、鎌倉期建築の特徴がよく現れている。上層の回縁の出が大きく、入母屋屋根の反りが高い。組物は上層・下層ともに三手先(みてさき)とし、中備(なかぞなえ)は正面は三間とも本蟇股(ほんかえるまた)、側面は間斗束(けんとづか)とする。

重要文化財
本堂:本瓦葺き、正面側面とも五間、単層入母屋造りの仏堂。鎌倉末期。
鐘楼(袴腰造):元弘3年(1333年)の建立(柱墨書による)
三重塔:鎌倉時代末期
護摩堂:室町時代初期
訶梨帝母天堂:鎌倉時代末期
五輪塔:鎌倉時代末期 1995年に石手寺門前から境内裏手へ移建
銅鐘:総高104.6cm口径59.8cm、鋳銅製、建長3年(1251年)6月の銘
(Wikipedia)
国宝の仁王門(2016.5)
国宝の仁王門(2016.5)
重要文化財本堂(2016.5)
重要文化財本堂(2016.5)

7.52番札所太山寺(国宝:本堂。重要文化財:二王門)

国宝本堂:鎌倉時代。本堂内から発見された墨書により嘉元3年(1305年)の建立と判明する。桁行7間 (16.38m)、梁間9間 (20.91m)。屋根は入母屋造本瓦葺きで木造建築としては県下最大である。柱はすべて円柱で、正面の柱間をすべて蔀(しとみ)とするなど、建築様式は和様を基調とするが、虹梁(こうりょう)の形状など細部に大仏様(天竺様)を取り入れている。堂内手前の参詣者が立ち入る部分は板敷きとする。その奥は柱間5間×5間分の床を一段高く造り、手前を畳敷きの外陣(げじん)、奥を土間の内陣とする。内陣には横長の宮殿 (厨子)を置き、7躯の十一面観音立像(秘仏)を安置する。宮殿のある内陣を土間とするのは延暦寺根本中堂など天台宗系仏堂にみられる手法である。明治37年(1904年)8月29日重要文化財(旧国宝)に、昭和29年(1954年)6月28日国宝に指定された。宮殿の7躯の十一面観音立像と最奥に祀られている十一面観音立像(舟形光背を有する)は、平成26年(2014年)10月18日から26日まで、50年ぶりに、宮殿の背後に祀られている五智如来や多くの仏像と共に公開された。

重要文化財二王門:入母屋造本瓦葺き八脚門。鎌倉時代。明治37年(1904年)8月29日指定 (Wikipedia)
嘉元3年(1305年)建立。国宝の本堂(2016.5)
嘉元3年(1305年)建立。国宝の本堂(2016.5)
太山寺 重要文化財の二王門(2016.4)
太山寺 重要文化財の二王門(2016.4)

8.69番札所観音寺(重要文化財:本堂)

本堂(附:厨子、棟札): 寄棟造、本瓦葺き。室町時代建立の前身堂の部材を用いて延宝5年(1677年)に建立されたもの。重要文化財指定名称は「観音寺金堂」。昭和34・6・27指定(Wikipedia)

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9.70番札所本山寺(国宝:本堂 重要文化財:二王門)

国宝本堂(附 厨子3基、棟木の部分1枚):正安2年(1300年)に京極氏と佐々木氏の寄進によって再建された。棟木と礎石に残された墨書から、正安2年の建立が裏づけられる。桁行(正面)五間、梁間(側面)五間の寄棟造、本瓦葺(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す用語)。円柱を用い、建築様式は純和様に近いが、側面と背面に桟唐戸(さんからど)を用い、外陣に渡した虹梁上に大瓶束(たいへいづか)を用いる点など、細部には禅宗様を取り入れている。平面構成は手前の梁間二間分を外陣とし、奥は中央の桁行三間・梁間二間を内陣、その周囲を脇陣ならびに後陣とする。正面の五間の柱間装置はいずれも蔀戸(しとみど)である。外陣は中央よりに2本の大虹梁(だいこうりょう)を渡し、その上に大瓶束を立て、入側柱2本を省略している。内陣は大型厨子内にさらに3基の厨子を置き、中央に本尊馬頭観音、左右に薬師如来と阿弥陀如来を安置する(いずれも絶対秘仏)。1955年に修復工事を実施。昭和30年6月22日指定。

重要文化財二王門:室町時代中期建立の三間一戸八脚門。切妻造、本瓦葺。主柱、前後の控柱ともに円柱とする。建築様式は和様を基調とするが、柱の下部に礎盤を設ける点など細部に禅宗様を取り入れている。明治37年8月29日指定。(Wikipedia)
本山寺 国宝:本堂(2016.4)
本山寺 国宝:本堂(2016.4)
重要文化財 仁王門(2016.4)
重要文化財 仁王門(2016.4)

10.75番札所善通寺(重要文化財:本堂/五重塔)

金堂(本堂):元禄12年(1699年)上棟。入母屋造、本瓦葺き。外観は二層に見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、方三間の身舎(もや)の周囲に一間の裳階をめぐらす(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。粽(ちまき)付の円柱を用い、貫を多用し、組物を詰組とし、桟唐戸、花頭窓、波連子の欄間、海老虹梁を用いるなど、禅宗様の構造や意匠を多用するが、天井を鏡天井でなく小組格天井とするのは和風の要素である。柱には粽を設けるが礎盤は省略している。垂木は身舎を禅宗様の扇垂木、裳階は平行垂木とする。内部は敷瓦を四半敷きとし、仏師・北川運長により造られたと云われる本尊薬師如来坐像(寄木造り、漆箔、像高約3mの丈六仏、江戸中期作)を安置する。
五重塔:1884年再建。高さ43m(礎石上〜相輪頂上)、総欅造、三間五重塔婆、本瓦葺。江戸時代末期の安政年(1854年)に着工し、3代の棟梁が携わって、明治35年(1902年)に竣工した。二重〜五重の内部にも床板を張り、人が登れる構造になっている。
(Wikipedia)
重要文化財 本堂(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)

11.80番札所国分寺(重要文化財:本堂)

本堂:5間四方の入母屋造で、重要文化財に指定されている。奈良時代の講堂跡に立ち、その礎石を再利用している。鎌倉時代後期の建立。明治37年8月29日指定(Wikipedia)
国分寺本堂(2016.5)
国分寺本堂(2016.5)

12.81番札所白峯寺(重要文化財 本堂他9点)

石造十三重塔 - 2基:源頼朝が崇徳天皇の菩提のために建立したと伝えられ、東塔(画像の奥)は総高5.95mの花崗岩製で弘安元年(1278年)建立、西塔(画像の手前)は総高5.62m角レキ凝灰岩製で元亨四年(1324年)建立、昭和29・9・17指定

建造物 9棟:平成29・7・31指定
本堂(附:厨子):慶長四年(1599年) 再建。毎年7月10日、本尊千手観音が開帳される(時間は午前10時からの法要の時間だけ)。脇侍は愛染明王と馬頭観音であるがいずれも秘仏。
大師堂(附:厨子、棟札1枚):文化八年 (1811) 再建。中央に弘法大師、左に稚児大師、右に青面金剛を安置するがすべて秘仏
阿弥陀堂:万治四年(1661年)建立。中央に阿弥陀如来、脇侍に勢至菩薩、観音菩薩を安置。また背後に千体の阿弥陀仏を安置。
行者堂(附:棟札1枚):安永八年(1779年)再建。中央に役行者、周りに十王、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩を安置する。
薬師堂:十九世紀前期建立。中央に薬師如来、脇侍に日光菩薩と月光菩薩、手前に眷属の十二神将、向かって左側に金剛界大日如来、向かって右側に胎蔵界大日如来を安置するがすべて秘仏。
頓證寺殿(崇徳上皇殿、本地堂、白峯権現堂、拝殿)(附:棟札7枚):延宝八年(1680年)建立。崇徳天皇の廟所である頓証寺殿の奥殿には、三つの社があり、中央に崇徳天皇が祀られ、向って左に鎮守白峯大権現(日本八天狗の一狗)、同右に念持仏十一面観世音菩薩が祀られている。拝殿に文菩薩を安置する。2014年9月21日と28日に50年ぶりの開帳があり、崇徳天皇の尊影を拝することができた。
勅額門:延宝八年(1680年)建立。重要文化財の勅額は宝物館にあり、門にはレプリカが掛けられている。両脇には、源為義と源為朝の武者像が守護しているが普段は扉が閉められ見えない。なお、この門には新造された像で、元々の像は金刀比羅宮・白峰神社に明治31年移されたと云われている。※スロープあり
客殿(附:棟札1):延宝年間建立。十八世紀中期頃に大玄関を増築。
御成門(附:棟札3枚):享保九年(1724年)建立。
(附指定)勅使門、七棟門:十九世紀前期の建立。(Wikipedia)
仁王門手前にある国宝の十三重石塔(2016.5)
仁王門手前にある十三重石塔(2016.5)
白峰寺仁王門(2016.5)
御成門(2016.5)

13.84番札所屋島寺(重要文化財:本堂/梵鐘)

本堂(附:厨子) - 入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618年)建立された。
梵鐘 - 貞応2年(1223年)の銘がある。総高102cm口径64cm厚さ6cm、青銅の鋳物(Wikipediaより)
重要文化財本堂(2016.4)
重要文化財本堂(2016.4)

14.86番札所志度寺(重要文化財:本堂/仁王門)

本堂および附棟札2枚:1983年(昭和58年)6月2日指定。1670年(寛文10年)建立。毎年、7月16日と17日午前中、本尊と脇仏の開帳をし堂内を見学できる。
仁王門:1983年(昭和58年)6月2日指定。本堂と同様、1670年(寛文10年)頃の建立(Wikipediaより)
志度寺仁王門&五重塔(2016.4)
志度寺仁王門&五重塔(2016.4)
国指定重要文化財の本堂(2016.4)
国指定重要文化財の本堂(2016.4)

15.87番札所長尾寺(重要文化財:経幢)

経幢2基:石造。西側のものが弘安6年(1283年)、東側のものが弘安9年(1286年)の建立。昭和29・9・17指定(Wikipedia)
鎌倉時代の経幢(2016.5)
鎌倉時代の経幢(2016.5)
経幢説明板(2016.5)
経幢説明板(2016.5)

別格札所の3カ寺に重要文化財10点がある。その詳細は

1.別格7番札所出石寺(重要文化財:銅鐘)

銅鐘:朝鮮鐘とも呼ばれる。高麗王朝(918年 - 1392年)の時代に朝鮮半島で鋳造された。伝承では朝鮮出兵の際に藤堂高虎が持ち帰り、この寺に寄進したと言われている。総高89.0cm、口径55.7cm。大正7年(1918年)4月8日指定(Wikipedia)
金山出石寺仁王門(2015.6)
金山出石寺仁王門(2015.6)

2.別格10番札所興隆寺(重要文化財:本堂/宝篋印塔/銅鐘)

本堂:寄棟造、銅板葺き。文中4年(1375年)の建立。寄棟造であるが、大棟が著しく短いため、宝形造のように見える。明治40.5.27指定
宝篋印塔:源頼朝の供養塔と云われる。総高305cm、花崗岩製、南北朝時代作、昭和29.9.17指定
銅鐘:総高112.1cm、口径68.2cm、鋳銅製、弘安9年(1286)作、大正1.9.3指定 (Wikipedia)

3.別格15番札所箸蔵寺(重要文化財:本殿他5点)

本殿 附 御本社再建寄進帳:江戸時代末期の建立と推定されている。手前から奥へ、外陣(げじん)・内陣・奥殿の3部分からなる複合建築で、外陣と奥殿は入母屋造、これらを繋ぐ内陣は前方を切妻造、後方を両下造(りょうさげづくり)とする。外陣と奥殿の屋根にはそれぞれ千鳥破風と軒唐破風を付す。屋根はすべて銅板葺き。傾斜地に建ち、土地の高低差を利用して外陣・内陣・奥殿の床高を変え、複雑な屋根構成を見せる。
護摩殿:江戸時代末期、文久元年頃の建立。外陣・内陣・奥殿の3部分からなる構成は本殿と似るが、本殿よりは規模が一回り小さい。奥殿の屋根を入母屋造でなく宝形(ほうぎょう)造りとする点と、屋根を桟瓦葺きとする点も本殿と異なっている。
方丈 附 棟飾平瓦:江戸時代末期、安政3年(1856年)頃の建立。
薬師堂 附 厨子1棟:文久元年(1861年)頃の建立。
鐘楼堂:文久元年(1861年)頃の建立。
天神社本殿:文久元年(1861年)頃の建立。
上記6棟は全て平成16年(2004年)7月6日指定。(Wikipedia)
重要文化財の本堂(2016.4)
重要文化財の本堂(2016.4)

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