19番札所立江寺周辺の『真念しるべ石』3基は何処に?

19番札所立江寺周辺には3基の『真念しるべ石』がある。どこにあるのかな?。チョット事前調査し現地に向かった。1基は何とか辿りついたが、あとの2基は、何処にあるのか見つけられなかった。
そこで「お遍路宿鮒の里の主人吉成さん」であれば知っているのではと思い、2017年2月2日に『鮒の里』を訪れ、吉成さんに案内してもらった。


【その1】
最初の『真念しるべ石』は農協椎茸事務所を右に曲がり30m程行ったところにある。

真念しるべ石は農協事務所を右折(2017.2)
真念しるべ石は農協事務所を右折(2017.2)
遍路道を右折、中央電柱元左に白い何かが。これが真念しるべ石(2017.2)
遍路道を右折、中央電柱元左に白い何かが。これが真念しるべ石(2017.2)
旧遍路道4(真念しるべ石が)(2017.2)
旧遍路道4(真念しるべ石が)(2017.2)

吉成さんと現地調査するが何故この位置にあるのか解せない。吉成さんは早速集落の長老に聴き取り。結果は、どうも『しるべ石』は、約50m東側にある天満神社と水大師の付近にあったのを現在の位置に移設したのでは?。
明治後期までの生活道(遍路道)は、現在の県道より山側にあったみたいだ。現地(旧道)を歩いてみると。

旧遍路道1(天満神社への道)(2017.2)
旧遍路道1(天満神社への道)(2017.2)
旧遍路道2(天満神社へ)(2017.2)
旧遍路道2(天満神社へ)(2017.2)
旧遍路道3(水大師&天満神社 境に慶応年間の石碑が9(2017.2)
旧遍路道3(水大師&天満神社 境に慶応年間の石碑が9(2017.2)

この天満神社付近は三叉路?。ここにあったのであれば納得?。

旧遍路道4(天満神社から20番方面へ)
旧遍路道4(天満神社から20番方面へ)
旧遍路道5(鶴林寺への遍路道は直線)(2017.2)
旧遍路道5(鶴林寺への遍路道は直線)(2017.2)
その中間に旧遍路道6(真念しるべ石が)(2017.2)
その中間に旧遍路道6(真念しるべ石が)(2017.2)

現在、鮒の里のご主人吉成さんが調査中です。結果は後日報告いたします。


【その2】
農協事務所から県道遍路道を約1㎞遍路すると左側に消防車車庫がある。道路を挟んで右側に『真念しるべ石』がある。しかし、塀が邪魔になっていて、歩き遍路は見えない。その存在を認識していなかったら100%見過ごしてしまうであろう?。

左に消防車庫。右に真念しるべ石しかし塀が邪魔し見えない。(2017.2)
左に消防車庫。右に真念しるべ石しかし塀が邪魔し見えない。(2017.2)
真念道しるべ(左)&明治期の道しるべ(右)(2017.2)
真念道しるべ(左)&明治期の道しるべ(右)(2017.2)
『真念しるべ石』(2017.2)
『真念しるべ石』(2017.2)

【その3】
上記の三叉路で遍路道を逸れ、右折し旧道を約500mお遍路すると地蔵堂が有る。その脇に『真念しるべ石』がある。

旧遍路道地蔵堂脇の真念しるべ石(2017.2)
旧遍路道地蔵堂脇の真念しるべ石(2017.2)
真念しるべ石(2017.2)
真念しるべ石(2017.2)
地蔵堂から20番方面へ。この先に立派な地蔵堂が有る。(2017.2)
地蔵堂から20番方面へ。この先に立派な地蔵堂が有る。(2017.2)

それより更に遍路すると、また地蔵堂が有る。江戸期はこれより20番札所への生活道があったそうだが。しかし、現在は、その先は廃道となっているとのこと。ここを訪れるお遍路さんはほとんどいないであろう。

昔の遍路道。地蔵堂が。この先は行き詰まり。(2017.2)
昔の遍路道。地蔵堂が。この先は行き詰まり。(2017.2)

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