<<=讃岐(涅槃の道場) 阿波(発心の道場)=>>
札所:<<=88番札所 01番札所=>>
順路:
ルート概要は
<札所間情報>
距離:切幡寺経由:40㎞&大坂峠経由:39㎞
高低差:ほぼ平坦&380m
難易度:チョット大変
ルート数:2ルート+α
別格:-
美味しい情報:-
遍路宿情報:-
おへんろ道:-
オススメ情報:-
本区間のポイント
01番札所霊山寺へ打ち戻す!?。
88番札所 大窪寺出発し
01番札所 霊山寺を目指す!
88番札所大窪寺から01番札所霊山寺打ち戻しのルートは3つ?
【ルート1】 大窪寺-10番切幡寺-01番霊山寺
【ルート2】 大窪寺-引田-大坂峠-03番金泉寺-01番霊山寺
【ルート2’】 大窪寺-引田-大坂峠-大麻比古神社-01番霊山寺
【ルート3】 大窪寺-與田寺-引田-大坂峠-03番or大麻比古神社
なぜ?、01番札所霊山寺へ打ち戻すの???。私は88番札所大窪寺結願後に、一つの輪となるようにと思い88番札所大窪寺から01番札所霊山寺へお遍路した。また、1番霊山寺から高野山までも歩きたいと思った。なお、高野山までのお遍路はまだ結願していない。できるだけ早い時期に挑戦したいと模索中。
なぜ?、01番札所霊山寺へ打ち戻すのか。インターネットで検索してみると『HP「掬水へんろ館」のお礼参りのコーナ』で経緯等が記載されていたので引用します。
八十八ヵ所を巡り終えた後、無事結願の報告と感謝を込めて、最初にお参りしたお寺などに再度お参りする習わしがあります。徳島県の1番霊山寺から 遍路をはじめる人が多いので、88番で結願の後、お礼参りは1番に向かうことになります。ただし、自宅から便利な場所から打ち始めて構わないので、例えば51番から打ち始めた人は50番で結願となり、お礼参りは51番となります。
へんろみち保存協力会『四国遍路ひとり歩き同行二人』でもこの意味で「お礼参り」を紹介しています。しかし、「結願後に1番に戻る」という習わしが一般化したのは戦後のことのようです。現在でも、88番で結願して、道中使用した菅笠や金剛杖を奉納し、そのまま帰宅の途につく人は少なくありません。
1番霊山寺で販売されている納経帳には、88番大窪寺の次に「満願御礼参拝 最初に参った寺」というページがあり、このようなお礼参りを認知した形になっています。
88番から1番へは40キロ前後あり、お礼参りをするなら1~2日余計にかかります。ポピュラーなコースは、10番切幡寺に立ち寄り、そこから「逆打ち」の形をとって1番に向かうものです。僕も1巡目はそのように歩きました。最初に回った札所を1つ1つ逆上って巡っていくと、お遍路の最初の部分を巻き戻し再生して復習しているような心持ちになります。道の向こうから真新しい白装束に身を包んで緊張した面持ちで歩いてくる新米遍路は、まさしく打ち始めの自分自身の姿のようでもあり、僕は、感慨深い締めくくりだと感じました。
打ち始めのお寺へのお礼参りが一般化したから納経帳にもそれが反映されたのか、納経帳の巧妙な構成が、こうした習わしを普及させたのか、真相は不明です。この「最初に参った寺へのお礼参り」へのお礼参りについては、「1番霊山寺の納経帳の構成は、納経料を2倍稼ぐ策略であって、そのようなお礼参りはまったく意味がない」と主張する札所関係者もあるということです。確かに、歴史的・宗教的な根拠は明確ではなく、必須な行為ではないのかも知れません。しかし、歩き遍路にとってはなかなか味のある趣向だと思います。遍路習俗は、寺院が定めてきたものではなく、遍路と地元の方々とが作り上げてきたものです。僕は遍路の一人として「ぜひに」と勧めたいです。
経緯等は理解できたが、なぜ「満願御礼参拝 最初に参った寺」頁を納経帳に設けているのかが疑問だ?。この件について何人かと 意見を交わすが・・・・・・??。納経するかどうかはお遍路さんが決めることでは?。納経帳にページを設けることには多くの人が疑問を?。
ちなみに、私はルート2をお遍路した。納経はしなかった。
今の納経帳には88番大窪寺の次頁に「満願御礼参拝 最初に参った寺」というページがある。私が最初に購入(1973年)した納経帳には88番札所大窪寺の次頁には「満願御礼参拝 最初に参った寺」というページはない。この慣わしは、いつごろから???。
<<=讃岐(涅槃の道場) 阿波(発心の道場)=>>
札所:<<=88番札所 01番札所=>>
順路: