四国霊場 国史跡「その1: 遍路道『19か所』はここだ!」

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更新日:2021/12/20

近年、四国霊場に関する「国史跡」の記事をよく目にする。 今回、国史跡について調べてみた。 現時点で国史跡は30か所?。内訳は「遍路道:19か所?」&「境内:11か寺」
へんろの里は11番札所門前に位置している。昨年は毎日のようにへんろの里前を徳島県、吉野川市の車が行き来していた。何故❔。藤井寺の「国史跡指定に向けての調査」を行っていたのかな???。 その背景には世界遺産登録に向けた取り組みも有るのかな???。
ここでは四国霊場 国史跡遍路道19カ所について 。資料はウィキペディア等を参照しました。


1.12番焼山寺道/一宮道(2016.10) 4.2㎞

焼山寺道:浄蓮庵(一本杉庵)から焼山寺へ向かう道のうち、両所の谷間である左右内谷川を渡る直前あたりから焼山寺山中腹の標高約630mの林道出合いまでの0.960km。平成28年10月3日指定
さらに、浄蓮庵の前後である上り道と左右内谷川へ下る道のうち約2.3kmが平成30年2月13日追加指定された。その間には34基の丁石・2基の道標・20基の遍路墓が残る。 
一宮道:焼山寺境内から下る道で、境内を出て標高約480mの車道出合いまでのうち、途中の車道部分を除く0.953km。平成28年10月3日指定

左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑
左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑

あと7丁(ここから平らな遍路道)
焼山寺まであと7丁(ここから平らな遍路道)

2.18番恩山寺/19番立江寺道(2016.10) 0.9㎞

小松島市では初となる国史跡で指定範囲は約900mです。
遍路道の主要ルートである土佐街道から離れ、恩山寺に向う恩山寺道の一部と恩山寺から立江寺へ向かい土佐街道に再び合流するまでの間の立江寺道で、遍路道であるとともに周辺住民の生活道としても利用されている古道です。
恩山寺周辺の遍路道に関しては、承応2年(1653)澄禅による『四国遍路日記』に「大道ヨリ右ノ谷ヘ入ル事五丁斗ニシテ二王門アリ、夫ヨリ二町斗行キテ本堂二至ル・・」と記述があります。また、恩山寺道・立江寺道には平家追討のため四国に上陸した源義経一行の伝承が残る「弦張坂」、「弦巻坂」があり中世期の石造物も点在し、周辺には県指定天然物「恩山寺ビランジュ」や市指定文化財「釈迦庵の仏足石」があります。
景観・石造物・伝承と歴史・文化を現在まで伝える古道であるといえます。

仁王門から本堂への遍路道(2016.4)
恩山寺仁王門から本堂への遍路道(2016.4)

立江寺への弦巻坂(2016.2)
立江寺への弦巻坂(2016.2)

3.20番鶴林寺道(2010.8)1.27㎞

麓から仁王門までは、約4km。そのうち、水呑(みずのみ)大師から仁王門の1,269mは「鶴林寺道」と呼ばれ、2010年8月に遍路道で初めて国史跡に指定された。鶴林寺道には本堂までの距離が何町(1町は約110m)あるかを刻んだ石の柱「丁石」が13基あり、そのうち11基は南北朝時代(1300年代)のものとされる。

国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)
国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)

七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)
七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)

4.21番太龍寺道(2010.8.5)2.5㎞

鶴林寺から水井橋を経由し太龍寺に向う約7㎞の遍路道 。平成21 年に四国で初めてその一部が国の史跡となった遍路道。江戸時代から現代にいたるまで多くの歩きのお遍路さんが往来し 道筋には太龍寺までの距離を示す「舟形丁石」が建ち並ぶ。 山道を進む険しい道で古くから遍路道の難所と して知られている。

21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)
21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)

国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)
国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)

5.21番太龍寺かも道(2015.10.7)1.34㎞

かも道は全長4.4㎞のうち1.34㎞が指定された。四国遍路最古の遍路道と考えられており、貞治年間(1362~67年)に設けられた丁石(札所までの距離を示す道標)が多く残る。 
長期間、廃道となっていたが、市などが2010年から調査を実施。 
地元住民らにも呼び掛けて整備し復活させた。

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6.22番平等寺いわや道(2013.3.27)2.7㎞

太龍寺から「南舎心嶽」を経由し、かつて存在した「龍の窟」へと向かう遍路道で、「平等寺道」分岐地点までの約3㎞の道。江戸時代には多くのお遍路さんが歩いていた主要なルートであった。道沿いには「舟形丁石」などの歴史的な石造物が良好に残されている。2013年3月27日に2.09㎞追加

いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)
いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)

いわや新道を行くお遍路(2016.3)
いわや新道を行くお遍路(2016.3)

7.22番平等寺道(2013.3.27)0.66㎞

平等寺道(いわや道分岐から阿瀬比町の遍路小屋までの山道)
「いわや道」の26丁石から分岐する古道で、平等寺を結ぶ遍路道である。「いわや道」分岐地点から山道をぬけて桑野町阿瀬比集落までは約2.5㎞。「いわや道」分岐から800mはなだらかな道だが、急に下り坂となるので注意が必要。この区間に舟形39丁石が一つ残る。

8.31番竹林寺道・32番禅師峰寺道(2021.3.26)0.92㎞

土佐遍路道 竹林寺道は、その竹林寺へと向かう遍路道で、五台山西麓にある吸江の旧船着場から山道を上り、途中「貞亨元年銘法華経塔(じょうきょうがんねんめいほけきょうとう)」(高知県指定史跡)を経て、竹林寺仁王門へと至ります。仁王門下の出入口までの651m(2440.07㎡)。 2021年3月26日指定(史跡「土佐遍路道」への追加指定)。
禅師峰寺道は、竹林寺道終点近くの分岐より車道が横切る部分を除く267m(964.53㎡)。 2021年3月26日(史跡「土佐遍路道」への追加指定)。

9.36番青龍寺道(2016.10.3)塚地峠:1.6km

35番札所清瀧寺から36番札所青龍寺に向かう道の途中の塚地峠(標高185m)周辺の約1.579㎞からなる峠道で、開発を免れた昔ながらの風景を保つ数少ない遍路道のひとつであり、道しるべなど貴重な石造物が数多く残されていることでも知られています。平成28年10月3日指定。
このルートには県道39号線塚地トンネルルートが並行している。多くのお遍路さんは平坦なこのルートを遍路している。    お遍路さん、ここには素敵な古道があるよ。距離は少し長くなるが、是非、この古道を遍路してね。

史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)
史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)

江戸期の綺麗に整備された(2016.6)
江戸期の綺麗に整備された遍路道(2016.6)

10.40番観自在寺道(2016.6)

観自在寺道 - 県境の松尾峠(標高約310m)から愛媛県側の約1.5km。平成30年10月15日指定
旧宿毛トンネル(昭和4年3月竣工)ができるまで、土佐と伊予の行き来は大深浦から国境の松尾峠(標高約300m)を越えていた。昔は坂を下った所にそれぞれ番所があり厳しく取り締まっていた。また、この峠からは眼下に宿毛湾が臨め、2軒の茶屋があった。享和元年(1801年)の記録に普通の日で200人多い日は300人通ったと記されている。「従是西伊豫國宇和島藩支配地(1687年建立)」の石碑と向かいには「従是東土佐國(1688年建立)」の石碑が建ち、峠より350m尾根を西へ行った山上に純友城址があるが何も残っていない。大師堂は宿泊可能でトイレもある。なお、高知県側(1927.62平方メートル)も史跡「土佐遍路道 観自在寺道」(宿毛市大深浦)に令和3年10月11日指定された

11.41番佛木寺道(2016.10)0.48㎞

仏木寺道は、宇和島市の41番龍光寺(三間町戸雁)から42番仏木寺(同町則)までの遍路道。今回指定されるのは龍光寺西の尾根を横断し県道31号に至る山道約450m。道沿いには江戸時代後期の遍路墓が残るなど旧状をとどめており、文化元(1804)年の遍路記「海南四州紀行」に「是(これ)ヨリ山坂アリ急ナラス路辺炎魔堂アリ」と言及されている。
当寺西尾根を横断し県道31号に至る山道約450m、平成28年10月3日指定。
当寺本堂前27m、平成29年10月13日追加指定

仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)
仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)

墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)
墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)

12.44番大寶寺道(2019.6?)0.8㎞

大寶寺道:当寺より大寶寺までの67.3kmのうち当寺より755mで、当寺より峠を経て宇和文化の里(特別支援学校への道をさらに上がった辺り)に至る道。切り通しなど往時の遍路道の雰囲気を良く残している。2019年10月16日指定。

愛13.45番岩屋寺道(2020.10)4.28㎞

第45札所岩屋寺道:当寺から岩屋寺へ向かう歩き遍路道約8.4kmのうち古道の景観が維持されている3ケ所の合計約4,281m、①大寶寺から山越えして畑野川に出る約628m(峠御堂から県道12号峠御堂トンネル東口脇まで)②畑野川の丘陵地の約1,624m(ふるさと村入口の700m先から右へ遍路道に入り無舗装車道に出るまで)③岩屋寺近くの約2,029m(②の終点から左へ約400m林道歩きをした地点からで途中に古岩屋浄水場がありその先の分岐から右へ遍路道に入りつづら折りの八丁坂を上り詰めると八丁坂の茶店跡がありその分岐を東進し標高785.5m三角点付近まで)。2021年3月26日指定(史跡「伊予遍路道」への追加指定)。

14.60番横峰寺道(2016.10)湯浪休憩所~五丁石~頂上:2.1㎞

横峰寺道 - 二十丁の位置にある湯浪休憩所付近から五丁石付近までの山道約1.7km、平成28年10月3日指定。平成29年10月13日、五丁石付近から山門までの0.396kmが追加指定され総延長約2.1kmとなった。

横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)
横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)

標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)
標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)

15.65番三角寺奥之院道/別格13番札所仙龍寺(2017.6)3.8㎞

奥之院道は、四国88ケ所霊場第65番札所三角寺(愛媛県四国中央市金田町)から三角寺奥之院仙龍寺(愛媛県四国中央市新宮町馬立)を経て第66番札所雲辺寺)(徳島県三好市池田町)に至る道の一部である。
『四国遍路道指南』(貞享4年〔1687〕)、『四国遍路霊場記』(元禄2年〔1689〕)では三角寺には大師堂がなく、奥之院本堂が三角寺の大師堂と見做されていた。そのため、第65番札所三角寺で本尊十一面観世音菩薩に詣り、次いで弘法大師に参拝するため奥之院仙龍寺に寄ってから、次の札所第66番札所雲辺寺に向かった。今回、三角寺の境内を出たところから、4丁石までの間、約3.8kmを指定する。

別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)
別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)

昔生活道/今遍路道(2017.11)
昔生活道/今遍路道(2017.11)

16.66番雲辺寺道(2017.2)2.16km

66番札所雲辺寺に至る遍路道のうち,約2.16kmの区間である。急峻な山道であり,沿道に残る数多くの丁石や道標と相まって,古道の景観を色濃くとどめる。

佐野集落から山道へ(2017.6.24)
佐野集落から山道へ(2017.6.24)

遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)
遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)

17.72番曼荼羅寺道(2015.10)0.9㎞

71番札所弥谷寺(三豊市三野町)と72番札所曼荼羅寺(善通寺市吉原町)を結ぶ遍路道は曼荼羅寺道と呼ばれ、道中では行き先を記した丁石や石造物を見ることが出来ます。このうち、弥谷寺へ向かう石段を上った分岐のあたりから善通寺市碑殿町の蛇谷池の堤までの区間は、約0.9kmの山間部を通る未舗装の道となり、歴史的な面影が残る古道を歩くことができます。
江戸時代に記された『四国遍礼名所図会』や、明治時代に大日本帝國陸地測量部によって作成された地形図などと比較すると、現在の曼荼羅寺道の道程は近世以降ほとんど変わっていないことが判っています。現在でもお遍路さんが歩いており、昔からの巡礼の風景が垣間見えます。

茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)
茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)

史跡 遍路道
史跡 遍路道

18.82番根香寺道(2013.10)2.3㎞

高松市と坂出市にまたがる五色台にあ り,歴史的な面影を残し,道沿いには道標(どうひょう) ・丁石(ちょうせき)等の石造物が残っています。道標は,主に白峯寺から根香寺の遍路道と別の札所寺院へ遍路道が分岐する場所に設置されています。丁石も道標と同様に重要な構成要素で,白峯寺から根香寺間の遍路道沿いに約 109m間隔で50基設置されていたようで,現在も41基が確認できます。

史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)
史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)

80番への分岐点 19丁(2016.5)
80番への分岐点 19丁(2016.5)

19.88番大窪寺道(2021.?)1.5㎞

県教育委員会によると、追加指定されるのは87番札所長尾寺(さぬき市)から、大窪寺を結ぶ道のうち約1・5キロの区間で、舗装されていない幅1メートル~1・5メートルの道が続く。沿道の約109メートルごとに置かれた「丁石」や、遍
路の途中で亡くなった人を弔う「遍路墓」など、沿道に石造物が多く残ることなどが評価された。石造物も史跡に含まれるという。

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