四国霊場 国史跡「その2:境内『11か寺』はここだ!!」

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更新日:2021/12/26

近年、四国霊場に関する「国史跡」の記事をよく目にする。 今回、国史跡について調べてみた。 現時点で国史跡は30か所?。内訳は「遍路道:19か所?」&「境内:11か寺」
へんろの里は11番札所門前に位置している。昨年は毎日のようにへんろの里前を徳島県、吉野川市の車が行き来していた。何故❔。藤井寺の「国史跡指定に向けての調査」を行っていたのかな???。 その背景には世界遺産登録に向けた取り組みも有るのかな???。
四国霊場が国史跡に指定されている「境内:11カ寺」に関する資料はウィキペディア等を参照しました。

①.04番札所大日寺境内(2019.10.16)

山門(鐘楼門) - 2018年春に改築。旧山門と同じく、下層は角柱で上層は丸柱の造りとなっている。
本堂:慶安2年(1649年)建立、寛政11年(1799年)修復。本尊は住職でも住職交代の折の人生2度しか見られない秘仏で、像高56cm、坐奥32.7cm前立仏と同じ大きさで金色に輝く、推定応永14年(1407年)作。その本尊が修繕を期に2017年の3月から12月の毎月28日開帳された。また、木彫りの前立仏は真鍋俊照(前住職)が着任の時に新造された。
大師堂:文久3年(1863年)9月建立。本尊は弘法大師、脇仏は弥勒菩薩坐像と不動明王坐像でいずれも拝観できる。また、昼と夜の大師を表現した白地と紺地に描かれた二枚の「両面大師」画は前住職が新たに描いたもので拝観できる。
護摩堂:下記の回廊の背後にあり、境内からは見えない。それまで大師堂で護摩を焚いていたが、前住職の着任を機に当堂を新築し京都から不動明王坐像と二童子像を迎え、大師像など諸仏に気兼ねなく護摩を焚くことができるようになった。
回廊:本堂と大師堂をつないでいて、弁財天女(石造)、青面金剛、そして、三十三体の西国霊場の観音菩薩像(江戸時代中期の明和年間(1764年 - 1772年)に大坂の信者が奉納したとされる)が安置され、令和2年(2020年)秋に修復が完了した。

②.05番札所地蔵寺境内(2019.10.16)

阿波遍路道 地蔵寺境内:約3万6千㎡。 2019年10月16日指定
国の登録有形文化財
 本堂 (以下5件2011年1月26日登録)
 不動堂
 大師堂
 経蔵
 五百羅漢堂(奥の院)

③.14番札所常楽寺境内(2021.3.26)

阿波遍路道 常楽寺境内:2021年3日26日指定(史跡「阿波遍路道」への追加指定)
国の登録有形文化財
 本堂(2011年7月25日登録)
 大師堂(2011年7月25日登録)

④.20番鶴林寺境内(2017.2.9)

「鶴林寺境内」(勝浦町)は第20番札所鶴林寺の境内地約4.6ha。標高490m付近に位置する山林寺院で,参道である鶴林寺道(国史跡)に建つ南北朝期の丁石が歴史の古さを物語る。

鶴林寺仁王門(2016.3)
鶴林寺仁王門(2016.3)

静寂できれいに清められた参道(2017.7)
静寂できれいに清められた参道(2017.7)

⑤.21番太龍寺境内(2017.2.9)

「太龍寺境内」(阿南市)は第21番札所太龍寺の境内地約6ha。標高約500m付近に所在する山林寺院で,「三教指帰」に登場する,史料上確認できる数少ない,空海修行の地である。鶴林寺とともに札所寺院として四国遍路の成立や発展過程を考える上で重要であり,諸堂と周辺の山林が一体となった景観は往時の四国霊場の趣を現在に伝える。
国の登録有形文化財
 本堂:嘉永5年(1852年) (以下9件平成25年6月21日登録)
 大師堂:明治10年(1877年)建立
 御影堂:明治11年(1878年)建立
 護摩堂:明治34年(1901年)建立
 多宝塔:文久元年(1861年)建立
 六角経蔵:安政3年(1856年)建立
 本坊:明治28年(1895年)建立
 仁王門:文化3年(1806年)建立
 鐘楼門:明治36年(1903年)建立[

階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)
仁王門階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)

21番札所太龍寺太子堂(2017.7)
21番札所太龍寺太子堂(2017.7)

⑥.22番札所平等寺境内(2021.10.11)

22番札所平等寺は広さが約5600平方メートル。令和3年10月11日指定。

⑦.35番札所清滝寺境内(2021.10.11)

35番札所清滝寺は令和3年10月11日指定

⑧.稲荷神社境内及び41番龍光寺境内(2017.6)

四国八十八ケ所霊場第41番札所龍光寺は、愛媛県宇和島市三間町字戸雁に所在する真言宗御室派の寺院で、江戸時代までの神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。明治時代初期の神仏分離までは稲荷社が札所であった。
稲荷神社本殿等の建築様式から18世紀後半の建築とされ、隣接する旧観音堂(現廣田神社)の建物も、その建築様式から18世紀初頭とされており、江戸時代中期には稲荷社としての今日に続く景観が成立していた。なお、江戸時代前期には既に、「立光寺」という名前で神宮寺としての龍光寺が成立していた。

参道。正面は神社。札所はどこ???
参道。正面は神社。札所はどこ???

墓地から龍光寺全景(21016.12)
墓地から龍光寺全景(21016.12)

⑨.43番札所明石寺境内(2019.6)

43番札所明石寺は、天台寺門宗(てんだい・じもんしゅう)の寺院で、四国霊場第43番札所として知られています。古くから当地の有力寺院としての歴史を有するほか、修験(しゅげん)の寺であったという点でも貴重で、九州の遍路の出入り口であることから、四国遍路と九州との関わりを解明するうえでも重要です。

⑩60番札所横峰寺境内(2017.6)

四国八十八ケ所霊場第60番札所横峰寺は、愛媛県西条市小松町石鎚にあり、真言宗御室派の寺院で石鎚信仰にもかかわる霊場である。その創立については、明確な史料を欠いているが、同寺に所蔵されている金銅蔵王権現御正体(みしょうたい)(愛媛県指定有形文化財(工芸品)、昭和40年4月2日指定)は鍍金銅製で、平安時代末期頃の製作と推定されており、その頃までに石鎚山を信仰の対象とする山岳信仰の霊場として成立していた可能性が高い。
明治時代の廃仏毀釈により廃寺になるが、明治末年に現在地に復興され今日に至っている。

横峰寺仁王門(2016.4)
横峰寺仁王門(2016.4)

横峰寺本堂(2016.4)
横峰寺本堂(2016.4)

⑪.75番善通寺境内(2017.6)

善通寺境内 - 「讃岐遍路道 曼荼羅寺道 根香寺道」に、東院と西院とそれをつなぐ参道と香色山の一部を除く全山など約22万5300平方メートルが追加指定され、名称は「讃岐遍路道 曼荼羅寺道 善通寺境内 根香寺道」となる。平成29年10月13日追加指定

南大門と五重塔(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)

重要文化財 本堂(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)

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四国霊場 国史跡「その1: 遍路道『19か所』はここだ!」

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更新日:2021/12/20

近年、四国霊場に関する「国史跡」の記事をよく目にする。 今回、国史跡について調べてみた。 現時点で国史跡は30か所?。内訳は「遍路道:19か所?」&「境内:11か寺」
へんろの里は11番札所門前に位置している。昨年は毎日のようにへんろの里前を徳島県、吉野川市の車が行き来していた。何故❔。藤井寺の「国史跡指定に向けての調査」を行っていたのかな???。 その背景には世界遺産登録に向けた取り組みも有るのかな???。
ここでは四国霊場 国史跡遍路道19カ所について 。資料はウィキペディア等を参照しました。


1.12番焼山寺道/一宮道(2016.10) 4.2㎞

焼山寺道:浄蓮庵(一本杉庵)から焼山寺へ向かう道のうち、両所の谷間である左右内谷川を渡る直前あたりから焼山寺山中腹の標高約630mの林道出合いまでの0.960km。平成28年10月3日指定
さらに、浄蓮庵の前後である上り道と左右内谷川へ下る道のうち約2.3kmが平成30年2月13日追加指定された。その間には34基の丁石・2基の道標・20基の遍路墓が残る。 
一宮道:焼山寺境内から下る道で、境内を出て標高約480mの車道出合いまでのうち、途中の車道部分を除く0.953km。平成28年10月3日指定

左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑
左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑

あと7丁(ここから平らな遍路道)
焼山寺まであと7丁(ここから平らな遍路道)

2.18番恩山寺/19番立江寺道(2016.10) 0.9㎞

小松島市では初となる国史跡で指定範囲は約900mです。
遍路道の主要ルートである土佐街道から離れ、恩山寺に向う恩山寺道の一部と恩山寺から立江寺へ向かい土佐街道に再び合流するまでの間の立江寺道で、遍路道であるとともに周辺住民の生活道としても利用されている古道です。
恩山寺周辺の遍路道に関しては、承応2年(1653)澄禅による『四国遍路日記』に「大道ヨリ右ノ谷ヘ入ル事五丁斗ニシテ二王門アリ、夫ヨリ二町斗行キテ本堂二至ル・・」と記述があります。また、恩山寺道・立江寺道には平家追討のため四国に上陸した源義経一行の伝承が残る「弦張坂」、「弦巻坂」があり中世期の石造物も点在し、周辺には県指定天然物「恩山寺ビランジュ」や市指定文化財「釈迦庵の仏足石」があります。
景観・石造物・伝承と歴史・文化を現在まで伝える古道であるといえます。

仁王門から本堂への遍路道(2016.4)
恩山寺仁王門から本堂への遍路道(2016.4)

立江寺への弦巻坂(2016.2)
立江寺への弦巻坂(2016.2)

3.20番鶴林寺道(2010.8)1.27㎞

麓から仁王門までは、約4km。そのうち、水呑(みずのみ)大師から仁王門の1,269mは「鶴林寺道」と呼ばれ、2010年8月に遍路道で初めて国史跡に指定された。鶴林寺道には本堂までの距離が何町(1町は約110m)あるかを刻んだ石の柱「丁石」が13基あり、そのうち11基は南北朝時代(1300年代)のものとされる。

国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)
国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)

七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)
七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)

4.21番太龍寺道(2010.8.5)2.5㎞

鶴林寺から水井橋を経由し太龍寺に向う約7㎞の遍路道 。平成21 年に四国で初めてその一部が国の史跡となった遍路道。江戸時代から現代にいたるまで多くの歩きのお遍路さんが往来し 道筋には太龍寺までの距離を示す「舟形丁石」が建ち並ぶ。 山道を進む険しい道で古くから遍路道の難所と して知られている。

21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)
21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)

国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)
国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)

5.21番太龍寺かも道(2015.10.7)1.34㎞

かも道は全長4.4㎞のうち1.34㎞が指定された。四国遍路最古の遍路道と考えられており、貞治年間(1362~67年)に設けられた丁石(札所までの距離を示す道標)が多く残る。 
長期間、廃道となっていたが、市などが2010年から調査を実施。 
地元住民らにも呼び掛けて整備し復活させた。

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6.22番平等寺いわや道(2013.3.27)2.7㎞

太龍寺から「南舎心嶽」を経由し、かつて存在した「龍の窟」へと向かう遍路道で、「平等寺道」分岐地点までの約3㎞の道。江戸時代には多くのお遍路さんが歩いていた主要なルートであった。道沿いには「舟形丁石」などの歴史的な石造物が良好に残されている。2013年3月27日に2.09㎞追加

いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)
いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)

いわや新道を行くお遍路(2016.3)
いわや新道を行くお遍路(2016.3)

7.22番平等寺道(2013.3.27)0.66㎞

平等寺道(いわや道分岐から阿瀬比町の遍路小屋までの山道)
「いわや道」の26丁石から分岐する古道で、平等寺を結ぶ遍路道である。「いわや道」分岐地点から山道をぬけて桑野町阿瀬比集落までは約2.5㎞。「いわや道」分岐から800mはなだらかな道だが、急に下り坂となるので注意が必要。この区間に舟形39丁石が一つ残る。

8.31番竹林寺道・32番禅師峰寺道(2021.3.26)0.92㎞

土佐遍路道 竹林寺道は、その竹林寺へと向かう遍路道で、五台山西麓にある吸江の旧船着場から山道を上り、途中「貞亨元年銘法華経塔(じょうきょうがんねんめいほけきょうとう)」(高知県指定史跡)を経て、竹林寺仁王門へと至ります。仁王門下の出入口までの651m(2440.07㎡)。 2021年3月26日指定(史跡「土佐遍路道」への追加指定)。
禅師峰寺道は、竹林寺道終点近くの分岐より車道が横切る部分を除く267m(964.53㎡)。 2021年3月26日(史跡「土佐遍路道」への追加指定)。

9.36番青龍寺道(2016.10.3)塚地峠:1.6km

35番札所清瀧寺から36番札所青龍寺に向かう道の途中の塚地峠(標高185m)周辺の約1.579㎞からなる峠道で、開発を免れた昔ながらの風景を保つ数少ない遍路道のひとつであり、道しるべなど貴重な石造物が数多く残されていることでも知られています。平成28年10月3日指定。
このルートには県道39号線塚地トンネルルートが並行している。多くのお遍路さんは平坦なこのルートを遍路している。    お遍路さん、ここには素敵な古道があるよ。距離は少し長くなるが、是非、この古道を遍路してね。

史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)
史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)

江戸期の綺麗に整備された(2016.6)
江戸期の綺麗に整備された遍路道(2016.6)

10.40番観自在寺道(2016.6)

観自在寺道 - 県境の松尾峠(標高約310m)から愛媛県側の約1.5km。平成30年10月15日指定
旧宿毛トンネル(昭和4年3月竣工)ができるまで、土佐と伊予の行き来は大深浦から国境の松尾峠(標高約300m)を越えていた。昔は坂を下った所にそれぞれ番所があり厳しく取り締まっていた。また、この峠からは眼下に宿毛湾が臨め、2軒の茶屋があった。享和元年(1801年)の記録に普通の日で200人多い日は300人通ったと記されている。「従是西伊豫國宇和島藩支配地(1687年建立)」の石碑と向かいには「従是東土佐國(1688年建立)」の石碑が建ち、峠より350m尾根を西へ行った山上に純友城址があるが何も残っていない。大師堂は宿泊可能でトイレもある。なお、高知県側(1927.62平方メートル)も史跡「土佐遍路道 観自在寺道」(宿毛市大深浦)に令和3年10月11日指定された

11.41番佛木寺道(2016.10)0.48㎞

仏木寺道は、宇和島市の41番龍光寺(三間町戸雁)から42番仏木寺(同町則)までの遍路道。今回指定されるのは龍光寺西の尾根を横断し県道31号に至る山道約450m。道沿いには江戸時代後期の遍路墓が残るなど旧状をとどめており、文化元(1804)年の遍路記「海南四州紀行」に「是(これ)ヨリ山坂アリ急ナラス路辺炎魔堂アリ」と言及されている。
当寺西尾根を横断し県道31号に至る山道約450m、平成28年10月3日指定。
当寺本堂前27m、平成29年10月13日追加指定

仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)
仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)

墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)
墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)

12.44番大寶寺道(2019.6?)0.8㎞

大寶寺道:当寺より大寶寺までの67.3kmのうち当寺より755mで、当寺より峠を経て宇和文化の里(特別支援学校への道をさらに上がった辺り)に至る道。切り通しなど往時の遍路道の雰囲気を良く残している。2019年10月16日指定。

愛13.45番岩屋寺道(2020.10)4.28㎞

第45札所岩屋寺道:当寺から岩屋寺へ向かう歩き遍路道約8.4kmのうち古道の景観が維持されている3ケ所の合計約4,281m、①大寶寺から山越えして畑野川に出る約628m(峠御堂から県道12号峠御堂トンネル東口脇まで)②畑野川の丘陵地の約1,624m(ふるさと村入口の700m先から右へ遍路道に入り無舗装車道に出るまで)③岩屋寺近くの約2,029m(②の終点から左へ約400m林道歩きをした地点からで途中に古岩屋浄水場がありその先の分岐から右へ遍路道に入りつづら折りの八丁坂を上り詰めると八丁坂の茶店跡がありその分岐を東進し標高785.5m三角点付近まで)。2021年3月26日指定(史跡「伊予遍路道」への追加指定)。

14.60番横峰寺道(2016.10)湯浪休憩所~五丁石~頂上:2.1㎞

横峰寺道 - 二十丁の位置にある湯浪休憩所付近から五丁石付近までの山道約1.7km、平成28年10月3日指定。平成29年10月13日、五丁石付近から山門までの0.396kmが追加指定され総延長約2.1kmとなった。

横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)
横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)

標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)
標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)

15.65番三角寺奥之院道/別格13番札所仙龍寺(2017.6)3.8㎞

奥之院道は、四国88ケ所霊場第65番札所三角寺(愛媛県四国中央市金田町)から三角寺奥之院仙龍寺(愛媛県四国中央市新宮町馬立)を経て第66番札所雲辺寺)(徳島県三好市池田町)に至る道の一部である。
『四国遍路道指南』(貞享4年〔1687〕)、『四国遍路霊場記』(元禄2年〔1689〕)では三角寺には大師堂がなく、奥之院本堂が三角寺の大師堂と見做されていた。そのため、第65番札所三角寺で本尊十一面観世音菩薩に詣り、次いで弘法大師に参拝するため奥之院仙龍寺に寄ってから、次の札所第66番札所雲辺寺に向かった。今回、三角寺の境内を出たところから、4丁石までの間、約3.8kmを指定する。

別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)
別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)

昔生活道/今遍路道(2017.11)
昔生活道/今遍路道(2017.11)

16.66番雲辺寺道(2017.2)2.16km

66番札所雲辺寺に至る遍路道のうち,約2.16kmの区間である。急峻な山道であり,沿道に残る数多くの丁石や道標と相まって,古道の景観を色濃くとどめる。

佐野集落から山道へ(2017.6.24)
佐野集落から山道へ(2017.6.24)

遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)
遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)

17.72番曼荼羅寺道(2015.10)0.9㎞

71番札所弥谷寺(三豊市三野町)と72番札所曼荼羅寺(善通寺市吉原町)を結ぶ遍路道は曼荼羅寺道と呼ばれ、道中では行き先を記した丁石や石造物を見ることが出来ます。このうち、弥谷寺へ向かう石段を上った分岐のあたりから善通寺市碑殿町の蛇谷池の堤までの区間は、約0.9kmの山間部を通る未舗装の道となり、歴史的な面影が残る古道を歩くことができます。
江戸時代に記された『四国遍礼名所図会』や、明治時代に大日本帝國陸地測量部によって作成された地形図などと比較すると、現在の曼荼羅寺道の道程は近世以降ほとんど変わっていないことが判っています。現在でもお遍路さんが歩いており、昔からの巡礼の風景が垣間見えます。

茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)
茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)

史跡 遍路道
史跡 遍路道

18.82番根香寺道(2013.10)2.3㎞

高松市と坂出市にまたがる五色台にあ り,歴史的な面影を残し,道沿いには道標(どうひょう) ・丁石(ちょうせき)等の石造物が残っています。道標は,主に白峯寺から根香寺の遍路道と別の札所寺院へ遍路道が分岐する場所に設置されています。丁石も道標と同様に重要な構成要素で,白峯寺から根香寺間の遍路道沿いに約 109m間隔で50基設置されていたようで,現在も41基が確認できます。

史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)
史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)

80番への分岐点 19丁(2016.5)
80番への分岐点 19丁(2016.5)

19.88番大窪寺道(2021.?)1.5㎞

県教育委員会によると、追加指定されるのは87番札所長尾寺(さぬき市)から、大窪寺を結ぶ道のうち約1・5キロの区間で、舗装されていない幅1メートル~1・5メートルの道が続く。沿道の約109メートルごとに置かれた「丁石」や、遍
路の途中で亡くなった人を弔う「遍路墓」など、沿道に石造物が多く残ることなどが評価された。石造物も史跡に含まれるという。

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四国霊場 阿波路 遍路宿 年末年始の営業状況について

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更新日:2021/12/14

とある歩き遍路が、藤井寺門前で歩き遍路と交流していると年末年始に区切り遍路をするお遍路さんは宿の確保に苦慮しているようだ!!?。
そこで、今回、阿波路の宿で、お遍路さんが良く利用するお遍路宿の年末年始(12/15~1/15)の営業状況について問い合わせしました。その結果は次のとおりです。参考にしてね!!?。
12番札所焼山寺周辺と20番札所鶴林寺麓の勝浦地区は、12月31日と元旦は宿泊施設確保が厳しい状況にあるので事前調査が欠かせないよ。
なお、市中にあるビジネスホテルはほとんど年末年始も営業しているようである。今回、これらの宿泊施設の情報は割愛させていただきます。

01番 (1㎞)   観梅荘 平常営業 
01番 (0㎞) 大鳥居苑 平常営業
01番 (0㎞)  GH一番館 平常営業 
05番-(11㎞)民宿森本屋 平常営業
05番-(15㎞)民宿寿食堂 平常営業 
07番-(20㎞)民宿越久田屋 12/30-1/4休業
10番-(34㎞)あわらくや 12/15-1月末改装休業
10番-(36㎞)チャンネル館 12/20-1/14休業
10番-(37㎞)さくら旅館 12/31-1/3休業
10番-(38㎞)吉野旅館 平常営業
12番-(53㎞)もり庵ロフト 12/31-1/1休業
12番-(53㎞)すだち庵 12/15-2月末改装休業
12番-(60㎞)植村旅館 12/26休業
12番-(57㎞)Week 神山 12/27-1/5休業
12番-(58㎞)旅館さくら 12/31-1/3休業
12番-(60㎞)四季の里神山温泉 平常営業

13番-(72㎞)かどや旅館 平常営業
13番-(72㎞)名西旅館はな 平常営業
16番-(78㎞)旅館鱗楼 平常営業
17番-(86㎞)宿びざん  1/13-17休業 食事なし
18番-(103㎞)民宿鮒の里 1/31-1/5休業
19番-(113㎞)民宿鶴風亭 12/31-1/3休業
19番-(113㎞)民宿みかんの里 12/31-1/1休業
19番-(120㎞)ふれあいの里坂本 12/31-1/1休業

20番-(120㎞)民宿碧 12/31-1/4休業
21番-(133㎞)民宿ぱんだ屋 平常営業
22番-(134㎞)民宿山茶花 12/30-1/3休業
22番-(145㎞)明山荘 12/29-1/2休業
22番-(153㎞)GHさくら庵 1/5-1/7休業
22番-(153㎞)GHホテル壱 12/31-1/3休業
23番-(170㎞)民宿砂美かたやま 平常営業(年末 始ほぼ満室)
23番-(171㎞)民宿内妻荘 平常営業
23番-(172㎞)民宿海山荘 平常営業
23番-(174㎞)民宿大砂 12/29‐1/5休業
23番-(180㎞)民宿海部 平常営業
23番-(182㎞)遊々NASA 平常営業(年末始ほぼ満室)
23番-(189㎞)キッチンみつ佳 12/31-1/1休業

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遍路宿情報(風光明媚な『民宿大砂(23-24番)』)

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ブログUP日:2021/12/01

民宿大砂は大砂海水浴場に面し風光明媚な場所にあり、太平洋からの日の出が見える宿だよ。

ゲ民宿大砂は:和室4室
位置図:Google マップ
Wifi:◎  トイレ:ウオシュレット  浴室:バスタブ
料金:一泊二食:8,200円~ 素泊り:4,400円~
洗濯機:お接待   乾燥機 :無し
チェックイン:16:00~
朝食時間:6:30~ 
連絡先:0884-70-1265
E-mail :ー
その他:ー

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