「霊場予備知識」カテゴリーアーカイブ

四国霊場 国史跡「その2:境内『11か寺』はここだ!!」

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更新日:2021/12/26

近年、四国霊場に関する「国史跡」の記事をよく目にする。 今回、国史跡について調べてみた。 現時点で国史跡は30か所?。内訳は「遍路道:19か所?」&「境内:11か寺」
へんろの里は11番札所門前に位置している。昨年は毎日のようにへんろの里前を徳島県、吉野川市の車が行き来していた。何故❔。藤井寺の「国史跡指定に向けての調査」を行っていたのかな???。 その背景には世界遺産登録に向けた取り組みも有るのかな???。
四国霊場が国史跡に指定されている「境内:11カ寺」に関する資料はウィキペディア等を参照しました。

①.04番札所大日寺境内(2019.10.16)

山門(鐘楼門) - 2018年春に改築。旧山門と同じく、下層は角柱で上層は丸柱の造りとなっている。
本堂:慶安2年(1649年)建立、寛政11年(1799年)修復。本尊は住職でも住職交代の折の人生2度しか見られない秘仏で、像高56cm、坐奥32.7cm前立仏と同じ大きさで金色に輝く、推定応永14年(1407年)作。その本尊が修繕を期に2017年の3月から12月の毎月28日開帳された。また、木彫りの前立仏は真鍋俊照(前住職)が着任の時に新造された。
大師堂:文久3年(1863年)9月建立。本尊は弘法大師、脇仏は弥勒菩薩坐像と不動明王坐像でいずれも拝観できる。また、昼と夜の大師を表現した白地と紺地に描かれた二枚の「両面大師」画は前住職が新たに描いたもので拝観できる。
護摩堂:下記の回廊の背後にあり、境内からは見えない。それまで大師堂で護摩を焚いていたが、前住職の着任を機に当堂を新築し京都から不動明王坐像と二童子像を迎え、大師像など諸仏に気兼ねなく護摩を焚くことができるようになった。
回廊:本堂と大師堂をつないでいて、弁財天女(石造)、青面金剛、そして、三十三体の西国霊場の観音菩薩像(江戸時代中期の明和年間(1764年 - 1772年)に大坂の信者が奉納したとされる)が安置され、令和2年(2020年)秋に修復が完了した。

②.05番札所地蔵寺境内(2019.10.16)

阿波遍路道 地蔵寺境内:約3万6千㎡。 2019年10月16日指定
国の登録有形文化財
 本堂 (以下5件2011年1月26日登録)
 不動堂
 大師堂
 経蔵
 五百羅漢堂(奥の院)

③.14番札所常楽寺境内(2021.3.26)

阿波遍路道 常楽寺境内:2021年3日26日指定(史跡「阿波遍路道」への追加指定)
国の登録有形文化財
 本堂(2011年7月25日登録)
 大師堂(2011年7月25日登録)

④.20番鶴林寺境内(2017.2.9)

「鶴林寺境内」(勝浦町)は第20番札所鶴林寺の境内地約4.6ha。標高490m付近に位置する山林寺院で,参道である鶴林寺道(国史跡)に建つ南北朝期の丁石が歴史の古さを物語る。

鶴林寺仁王門(2016.3)
鶴林寺仁王門(2016.3)

静寂できれいに清められた参道(2017.7)
静寂できれいに清められた参道(2017.7)

⑤.21番太龍寺境内(2017.2.9)

「太龍寺境内」(阿南市)は第21番札所太龍寺の境内地約6ha。標高約500m付近に所在する山林寺院で,「三教指帰」に登場する,史料上確認できる数少ない,空海修行の地である。鶴林寺とともに札所寺院として四国遍路の成立や発展過程を考える上で重要であり,諸堂と周辺の山林が一体となった景観は往時の四国霊場の趣を現在に伝える。
国の登録有形文化財
 本堂:嘉永5年(1852年) (以下9件平成25年6月21日登録)
 大師堂:明治10年(1877年)建立
 御影堂:明治11年(1878年)建立
 護摩堂:明治34年(1901年)建立
 多宝塔:文久元年(1861年)建立
 六角経蔵:安政3年(1856年)建立
 本坊:明治28年(1895年)建立
 仁王門:文化3年(1806年)建立
 鐘楼門:明治36年(1903年)建立[

階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)
仁王門階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)

21番札所太龍寺太子堂(2017.7)
21番札所太龍寺太子堂(2017.7)

⑥.22番札所平等寺境内(2021.10.11)

22番札所平等寺は広さが約5600平方メートル。令和3年10月11日指定。

⑦.35番札所清滝寺境内(2021.10.11)

35番札所清滝寺は令和3年10月11日指定

⑧.稲荷神社境内及び41番龍光寺境内(2017.6)

四国八十八ケ所霊場第41番札所龍光寺は、愛媛県宇和島市三間町字戸雁に所在する真言宗御室派の寺院で、江戸時代までの神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。明治時代初期の神仏分離までは稲荷社が札所であった。
稲荷神社本殿等の建築様式から18世紀後半の建築とされ、隣接する旧観音堂(現廣田神社)の建物も、その建築様式から18世紀初頭とされており、江戸時代中期には稲荷社としての今日に続く景観が成立していた。なお、江戸時代前期には既に、「立光寺」という名前で神宮寺としての龍光寺が成立していた。

参道。正面は神社。札所はどこ???
参道。正面は神社。札所はどこ???

墓地から龍光寺全景(21016.12)
墓地から龍光寺全景(21016.12)

⑨.43番札所明石寺境内(2019.6)

43番札所明石寺は、天台寺門宗(てんだい・じもんしゅう)の寺院で、四国霊場第43番札所として知られています。古くから当地の有力寺院としての歴史を有するほか、修験(しゅげん)の寺であったという点でも貴重で、九州の遍路の出入り口であることから、四国遍路と九州との関わりを解明するうえでも重要です。

⑩60番札所横峰寺境内(2017.6)

四国八十八ケ所霊場第60番札所横峰寺は、愛媛県西条市小松町石鎚にあり、真言宗御室派の寺院で石鎚信仰にもかかわる霊場である。その創立については、明確な史料を欠いているが、同寺に所蔵されている金銅蔵王権現御正体(みしょうたい)(愛媛県指定有形文化財(工芸品)、昭和40年4月2日指定)は鍍金銅製で、平安時代末期頃の製作と推定されており、その頃までに石鎚山を信仰の対象とする山岳信仰の霊場として成立していた可能性が高い。
明治時代の廃仏毀釈により廃寺になるが、明治末年に現在地に復興され今日に至っている。

横峰寺仁王門(2016.4)
横峰寺仁王門(2016.4)

横峰寺本堂(2016.4)
横峰寺本堂(2016.4)

⑪.75番善通寺境内(2017.6)

善通寺境内 - 「讃岐遍路道 曼荼羅寺道 根香寺道」に、東院と西院とそれをつなぐ参道と香色山の一部を除く全山など約22万5300平方メートルが追加指定され、名称は「讃岐遍路道 曼荼羅寺道 善通寺境内 根香寺道」となる。平成29年10月13日追加指定

南大門と五重塔(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)

重要文化財 本堂(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)

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四国霊場 国史跡「その1: 遍路道『19か所』はここだ!」

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更新日:2021/12/20

近年、四国霊場に関する「国史跡」の記事をよく目にする。 今回、国史跡について調べてみた。 現時点で国史跡は30か所?。内訳は「遍路道:19か所?」&「境内:11か寺」
へんろの里は11番札所門前に位置している。昨年は毎日のようにへんろの里前を徳島県、吉野川市の車が行き来していた。何故❔。藤井寺の「国史跡指定に向けての調査」を行っていたのかな???。 その背景には世界遺産登録に向けた取り組みも有るのかな???。
ここでは四国霊場 国史跡遍路道19カ所について 。資料はウィキペディア等を参照しました。


1.12番焼山寺道/一宮道(2016.10) 4.2㎞

焼山寺道:浄蓮庵(一本杉庵)から焼山寺へ向かう道のうち、両所の谷間である左右内谷川を渡る直前あたりから焼山寺山中腹の標高約630mの林道出合いまでの0.960km。平成28年10月3日指定
さらに、浄蓮庵の前後である上り道と左右内谷川へ下る道のうち約2.3kmが平成30年2月13日追加指定された。その間には34基の丁石・2基の道標・20基の遍路墓が残る。 
一宮道:焼山寺境内から下る道で、境内を出て標高約480mの車道出合いまでのうち、途中の車道部分を除く0.953km。平成28年10月3日指定

左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑
左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑

あと7丁(ここから平らな遍路道)
焼山寺まであと7丁(ここから平らな遍路道)

2.18番恩山寺/19番立江寺道(2016.10) 0.9㎞

小松島市では初となる国史跡で指定範囲は約900mです。
遍路道の主要ルートである土佐街道から離れ、恩山寺に向う恩山寺道の一部と恩山寺から立江寺へ向かい土佐街道に再び合流するまでの間の立江寺道で、遍路道であるとともに周辺住民の生活道としても利用されている古道です。
恩山寺周辺の遍路道に関しては、承応2年(1653)澄禅による『四国遍路日記』に「大道ヨリ右ノ谷ヘ入ル事五丁斗ニシテ二王門アリ、夫ヨリ二町斗行キテ本堂二至ル・・」と記述があります。また、恩山寺道・立江寺道には平家追討のため四国に上陸した源義経一行の伝承が残る「弦張坂」、「弦巻坂」があり中世期の石造物も点在し、周辺には県指定天然物「恩山寺ビランジュ」や市指定文化財「釈迦庵の仏足石」があります。
景観・石造物・伝承と歴史・文化を現在まで伝える古道であるといえます。

仁王門から本堂への遍路道(2016.4)
恩山寺仁王門から本堂への遍路道(2016.4)

立江寺への弦巻坂(2016.2)
立江寺への弦巻坂(2016.2)

3.20番鶴林寺道(2010.8)1.27㎞

麓から仁王門までは、約4km。そのうち、水呑(みずのみ)大師から仁王門の1,269mは「鶴林寺道」と呼ばれ、2010年8月に遍路道で初めて国史跡に指定された。鶴林寺道には本堂までの距離が何町(1町は約110m)あるかを刻んだ石の柱「丁石」が13基あり、そのうち11基は南北朝時代(1300年代)のものとされる。

国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)
国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)

七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)
七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)

4.21番太龍寺道(2010.8.5)2.5㎞

鶴林寺から水井橋を経由し太龍寺に向う約7㎞の遍路道 。平成21 年に四国で初めてその一部が国の史跡となった遍路道。江戸時代から現代にいたるまで多くの歩きのお遍路さんが往来し 道筋には太龍寺までの距離を示す「舟形丁石」が建ち並ぶ。 山道を進む険しい道で古くから遍路道の難所と して知られている。

21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)
21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)

国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)
国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)

5.21番太龍寺かも道(2015.10.7)1.34㎞

かも道は全長4.4㎞のうち1.34㎞が指定された。四国遍路最古の遍路道と考えられており、貞治年間(1362~67年)に設けられた丁石(札所までの距離を示す道標)が多く残る。 
長期間、廃道となっていたが、市などが2010年から調査を実施。 
地元住民らにも呼び掛けて整備し復活させた。

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6.22番平等寺いわや道(2013.3.27)2.7㎞

太龍寺から「南舎心嶽」を経由し、かつて存在した「龍の窟」へと向かう遍路道で、「平等寺道」分岐地点までの約3㎞の道。江戸時代には多くのお遍路さんが歩いていた主要なルートであった。道沿いには「舟形丁石」などの歴史的な石造物が良好に残されている。2013年3月27日に2.09㎞追加

いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)
いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)

いわや新道を行くお遍路(2016.3)
いわや新道を行くお遍路(2016.3)

7.22番平等寺道(2013.3.27)0.66㎞

平等寺道(いわや道分岐から阿瀬比町の遍路小屋までの山道)
「いわや道」の26丁石から分岐する古道で、平等寺を結ぶ遍路道である。「いわや道」分岐地点から山道をぬけて桑野町阿瀬比集落までは約2.5㎞。「いわや道」分岐から800mはなだらかな道だが、急に下り坂となるので注意が必要。この区間に舟形39丁石が一つ残る。

8.31番竹林寺道・32番禅師峰寺道(2021.3.26)0.92㎞

土佐遍路道 竹林寺道は、その竹林寺へと向かう遍路道で、五台山西麓にある吸江の旧船着場から山道を上り、途中「貞亨元年銘法華経塔(じょうきょうがんねんめいほけきょうとう)」(高知県指定史跡)を経て、竹林寺仁王門へと至ります。仁王門下の出入口までの651m(2440.07㎡)。 2021年3月26日指定(史跡「土佐遍路道」への追加指定)。
禅師峰寺道は、竹林寺道終点近くの分岐より車道が横切る部分を除く267m(964.53㎡)。 2021年3月26日(史跡「土佐遍路道」への追加指定)。

9.36番青龍寺道(2016.10.3)塚地峠:1.6km

35番札所清瀧寺から36番札所青龍寺に向かう道の途中の塚地峠(標高185m)周辺の約1.579㎞からなる峠道で、開発を免れた昔ながらの風景を保つ数少ない遍路道のひとつであり、道しるべなど貴重な石造物が数多く残されていることでも知られています。平成28年10月3日指定。
このルートには県道39号線塚地トンネルルートが並行している。多くのお遍路さんは平坦なこのルートを遍路している。    お遍路さん、ここには素敵な古道があるよ。距離は少し長くなるが、是非、この古道を遍路してね。

史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)
史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)

江戸期の綺麗に整備された(2016.6)
江戸期の綺麗に整備された遍路道(2016.6)

10.40番観自在寺道(2016.6)

観自在寺道 - 県境の松尾峠(標高約310m)から愛媛県側の約1.5km。平成30年10月15日指定
旧宿毛トンネル(昭和4年3月竣工)ができるまで、土佐と伊予の行き来は大深浦から国境の松尾峠(標高約300m)を越えていた。昔は坂を下った所にそれぞれ番所があり厳しく取り締まっていた。また、この峠からは眼下に宿毛湾が臨め、2軒の茶屋があった。享和元年(1801年)の記録に普通の日で200人多い日は300人通ったと記されている。「従是西伊豫國宇和島藩支配地(1687年建立)」の石碑と向かいには「従是東土佐國(1688年建立)」の石碑が建ち、峠より350m尾根を西へ行った山上に純友城址があるが何も残っていない。大師堂は宿泊可能でトイレもある。なお、高知県側(1927.62平方メートル)も史跡「土佐遍路道 観自在寺道」(宿毛市大深浦)に令和3年10月11日指定された

11.41番佛木寺道(2016.10)0.48㎞

仏木寺道は、宇和島市の41番龍光寺(三間町戸雁)から42番仏木寺(同町則)までの遍路道。今回指定されるのは龍光寺西の尾根を横断し県道31号に至る山道約450m。道沿いには江戸時代後期の遍路墓が残るなど旧状をとどめており、文化元(1804)年の遍路記「海南四州紀行」に「是(これ)ヨリ山坂アリ急ナラス路辺炎魔堂アリ」と言及されている。
当寺西尾根を横断し県道31号に至る山道約450m、平成28年10月3日指定。
当寺本堂前27m、平成29年10月13日追加指定

仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)
仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)

墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)
墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)

12.44番大寶寺道(2019.6?)0.8㎞

大寶寺道:当寺より大寶寺までの67.3kmのうち当寺より755mで、当寺より峠を経て宇和文化の里(特別支援学校への道をさらに上がった辺り)に至る道。切り通しなど往時の遍路道の雰囲気を良く残している。2019年10月16日指定。

愛13.45番岩屋寺道(2020.10)4.28㎞

第45札所岩屋寺道:当寺から岩屋寺へ向かう歩き遍路道約8.4kmのうち古道の景観が維持されている3ケ所の合計約4,281m、①大寶寺から山越えして畑野川に出る約628m(峠御堂から県道12号峠御堂トンネル東口脇まで)②畑野川の丘陵地の約1,624m(ふるさと村入口の700m先から右へ遍路道に入り無舗装車道に出るまで)③岩屋寺近くの約2,029m(②の終点から左へ約400m林道歩きをした地点からで途中に古岩屋浄水場がありその先の分岐から右へ遍路道に入りつづら折りの八丁坂を上り詰めると八丁坂の茶店跡がありその分岐を東進し標高785.5m三角点付近まで)。2021年3月26日指定(史跡「伊予遍路道」への追加指定)。

14.60番横峰寺道(2016.10)湯浪休憩所~五丁石~頂上:2.1㎞

横峰寺道 - 二十丁の位置にある湯浪休憩所付近から五丁石付近までの山道約1.7km、平成28年10月3日指定。平成29年10月13日、五丁石付近から山門までの0.396kmが追加指定され総延長約2.1kmとなった。

横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)
横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)

標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)
標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)

15.65番三角寺奥之院道/別格13番札所仙龍寺(2017.6)3.8㎞

奥之院道は、四国88ケ所霊場第65番札所三角寺(愛媛県四国中央市金田町)から三角寺奥之院仙龍寺(愛媛県四国中央市新宮町馬立)を経て第66番札所雲辺寺)(徳島県三好市池田町)に至る道の一部である。
『四国遍路道指南』(貞享4年〔1687〕)、『四国遍路霊場記』(元禄2年〔1689〕)では三角寺には大師堂がなく、奥之院本堂が三角寺の大師堂と見做されていた。そのため、第65番札所三角寺で本尊十一面観世音菩薩に詣り、次いで弘法大師に参拝するため奥之院仙龍寺に寄ってから、次の札所第66番札所雲辺寺に向かった。今回、三角寺の境内を出たところから、4丁石までの間、約3.8kmを指定する。

別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)
別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)

昔生活道/今遍路道(2017.11)
昔生活道/今遍路道(2017.11)

16.66番雲辺寺道(2017.2)2.16km

66番札所雲辺寺に至る遍路道のうち,約2.16kmの区間である。急峻な山道であり,沿道に残る数多くの丁石や道標と相まって,古道の景観を色濃くとどめる。

佐野集落から山道へ(2017.6.24)
佐野集落から山道へ(2017.6.24)

遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)
遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)

17.72番曼荼羅寺道(2015.10)0.9㎞

71番札所弥谷寺(三豊市三野町)と72番札所曼荼羅寺(善通寺市吉原町)を結ぶ遍路道は曼荼羅寺道と呼ばれ、道中では行き先を記した丁石や石造物を見ることが出来ます。このうち、弥谷寺へ向かう石段を上った分岐のあたりから善通寺市碑殿町の蛇谷池の堤までの区間は、約0.9kmの山間部を通る未舗装の道となり、歴史的な面影が残る古道を歩くことができます。
江戸時代に記された『四国遍礼名所図会』や、明治時代に大日本帝國陸地測量部によって作成された地形図などと比較すると、現在の曼荼羅寺道の道程は近世以降ほとんど変わっていないことが判っています。現在でもお遍路さんが歩いており、昔からの巡礼の風景が垣間見えます。

茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)
茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)

史跡 遍路道
史跡 遍路道

18.82番根香寺道(2013.10)2.3㎞

高松市と坂出市にまたがる五色台にあ り,歴史的な面影を残し,道沿いには道標(どうひょう) ・丁石(ちょうせき)等の石造物が残っています。道標は,主に白峯寺から根香寺の遍路道と別の札所寺院へ遍路道が分岐する場所に設置されています。丁石も道標と同様に重要な構成要素で,白峯寺から根香寺間の遍路道沿いに約 109m間隔で50基設置されていたようで,現在も41基が確認できます。

史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)
史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)

80番への分岐点 19丁(2016.5)
80番への分岐点 19丁(2016.5)

19.88番大窪寺道(2021.?)1.5㎞

県教育委員会によると、追加指定されるのは87番札所長尾寺(さぬき市)から、大窪寺を結ぶ道のうち約1・5キロの区間で、舗装されていない幅1メートル~1・5メートルの道が続く。沿道の約109メートルごとに置かれた「丁石」や、遍
路の途中で亡くなった人を弔う「遍路墓」など、沿道に石造物が多く残ることなどが評価された。石造物も史跡に含まれるという。

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歩き遍路に適した靴/靴擦れ予防/措置方法は?「その2 肉刺(マメ)治療法」

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更新日:2021/05/17

第二次世界大戦時、陸軍の兵隊さんは35㎏?の荷物を背負い50㎞?の行軍。靴といっても地下足袋のようなもの。殆どの兵隊は靴擦れ(肉刺)に悩まされたそうだ。
その治療方法は「軍隊式靴ずれ(肉刺)治療方法」だ!!!。19番札所立江寺手前の遍路宿「鮒の里の主 吉成さん」は、お父さんの兵役経験談からこの靴擦れ(肉刺)治療法を学んだそうだ!!!。
「鮒の里」では、靴ずれ(肉刺)に悩むお遍路さんに対してこの「軍隊式靴ずれ(肉刺)治療方法」で処置をおこなっており、好評を得ている。その治療方法を紹介するよ!!!。

その治療の必需品は、
ヨードチンキ、木綿糸、縫い針、バンドエイド等。
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治療手順は
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木綿糸は残しておくこと。水泡内の液を体外に出すパイプの役割をする。治療に必要なのだ!!!

なお、この治療用品は、10番札所切幡寺門前のへんろ用品販売店「浅野総本店 スモトリ屋」、11番札所藤井寺手前の「へんろの里」&19番札所立江寺手前の「遍路宿 鮒の里」にあるよ。お悩みの歩き遍路さん気軽に声をかけてね!!。

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歩き遍路に適した靴/靴擦れ予防/措置方法は?「その1 靴選定/靴擦れ/予防」

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ブログUP日:2021日5月12日

歩き遍路靴の現状

 へんろの里前を歩く遍路さんが履いている靴は、ランニングシューズ、トレッキングシューズ、ズック靴、登山靴、地下足袋等と多種多様である。時たま足を引きずりながら歩いているお遍路さんを見かける。「どうしたんですか?」と聞くと、靴擦れ、筋肉痛もしくは関節痛だ。
その原因は? 靴がフィツトしていない。長時間歩行のための疲労等々。
 四国霊場の歩き遍路道は約1200㎞。3番札所奥之院愛染院周辺は未舗装で歩き遍路にやさしいへん ろ道。11番札所藤井寺から12番札所焼山寺までは起伏のある山道。17番札所井戸寺から18番札所恩山寺までは徳島市街地のアスファルト道を遍路する。歩き遍路道の約90%?は平坦なアスファルト道路である。しかし、変化に富んだのへんろ道の状況にあった靴に履き替えることは困難である。
 一番札所から約40㎞地点、12番札所焼山寺遍路転がし起点にある「吉野旅館」と一番札所から約100㎞地点に位置し19番札所手前にある遍路宿「鮒の里」に靴事情について聞いてみた。
吉野旅館で年間約10名、鮒の里で約30名のお遍路さんが靴を買い替えている。一番多いのが登山靴を履いているお遍路さんのようだ。靴買い替え状況は、多くのお遍路さんは靴底が少し厚めのトレッキングシューズだそうだ。

靴買替の原因は?

靴買替原因の二大要因?は、一番は靴が足にフィットしていない。二番は歩き遍路に適した靴を履いていない。       これが原因で靴擦れ、筋肉痛が発症し歩き遍路に支障が発生。これが原因で歩き遍路を中断もしくは諦めるお遍路さんは非常に多いようだ。

歩き遍路に適した靴は?

何といっても歩き遍路に適した靴の選定が欠かせない。とある歩き遍路は、師匠であるMさんに歩き遍路に合った靴に関するアドバイスを求めると「400g以下の防水用ウォーキングシューズ」で価格は一万円程度の商品を勧めてくれた。

靴擦れ予防法は?

靴擦れが発症しやすい場所は、つま先、甲、土踏まず、踵、くるぶし。その予防策として
①つま先の予防策として5本指ソックスが
②甲は靴ひもの締め方に工夫が必要
③今までの靴擦れ体験から、想定される場所にテーピング用絆創膏で保護 テーピングの方法は

筋肉痛予防法は?

筋肉痛は筋肉疲労の赤信号。
筋肉痛の予防策は?。膝下にサポータ(ザムスターJKバンド)をきつくない程度に巻くと効果があるよ。価格は1,500円程度。

なお、膝を覆うサポーターは摩擦により皮膚かぶれの可能性があるのでお勧めできない。

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2020年歩き遍路との出会い

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ブログUP日:2021/01/02

はじめに
とある歩き遍路は、2018年8月より「11番札所藤井寺脇『へんろの里』」で四国霊場巡拝状況の定点観測をしている。2020年は、コロナ渦の影響でお遍路さんは、へんろの里の実感としは、前年に比べ70%以上の減?。

今年の状況を要約してみると
2020年に確認したお遍路さんは906組1019名(2019:2293組3159人)。外国人遍路は83組113人(2019:552組866人)。
・1月:今年は閏年で逆打ちの年。車遍路1-3月は例年より少なめ 歩き遍路は例年並み。順調?
・2月:例年並みの歩き遍路を確認。今年も順調だ???。コロナ渦の影響は殆ど無し?。
・3月:2日、政府は小中高学校の全国一斉休校を発表。コロナ渦に関心が高まる?。歩き遍路は徐々に減少。
・4月:8日、東京都等が非常事態宣言。18日、政府の非常事態宣言を受け四国八十八カ所霊場会は参拝自粛依頼。これを受けへんろの里前を通過するお遍路は「ほぼ0」。通過するお遍路さんの多くは非常事態宣言が出される前に発心した逆打ち遍路。
逆打ち遍路さんは「宿探し」と「ばい菌扱い」に苦労する。
・5月:11日、四国八十八カ所霊場会「非常事態宣言」解除。しかし、四国発の高速バスは運休。めだかの里を通過するお遍路はまばら
・6月:政府は緊急事態宣言解除。へんろの里前を通過する歩き遍路は少ない。車遍路が目立つようになる。
・10-12月:Go to Travel 等の施策により、歩き遍路、車遍路の増加。特にバス遍路が急増。とある歩き遍路が1月-9月に確認した観光 バスはたったの9台。今年は閏年、Go to Travelの施策の影響もあってか10月-12月に逆打ちバス遍路ツアーが急増。確認したのは154台。マイクロバスも急増。それでも昨年の半分以下?。
2020年の歩き遍路は、通年の1/4程度。特に外国人遍路の減少は顕著であった。

          2020年の特記事項
1.外国人遍路について
・1月から3月までは例年以上のお遍路が?。しかし、3月末からのコロナ騒動で外国人は日本への入国ができない状況下においも日本在住の外国人が四国遍路に訪れている。四国遍路の認知度の向上?、それとも3密を避けて四国遍路に出る?。
・四国遍路は、外国人の中で人気は着実に高まっている?。
この一年に情報交換した外国人は22ヵ国-52グループ。コロナ禍の影響もあり多くが日本在住外国人。一番多かったのはUSAの11グループ。大きく減少したのが台湾。総数で前年に比べ約85%減少

2.逆打ち歩き遍路について
とある歩き遍路は前回の閏年2016年に二回目の区切り歩き遍路に挑戦したとき、部分的に逆打ち遍路に挑戦。その時には、逆打ち歩き遍路をあまり見かけなかった?。今回判明したことは、歩き遍路にも逆打ち遍路に挑戦するお遍路さんが多いことに少し驚きを感じた。歩き遍路の約20%が逆打ちであった。また、初めての歩き遍路で逆打ち遍路に挑戦したお遍路さんがいたことにもチョット驚き。

3.コロナ渦の影響について
・コロナ渦が引き金になったのかな?。この5月31日、12番札所焼山寺麓の鍋岩集落にあった「お遍路宿なべいわ荘」が閉館。なべいわに宿が無ければ歩き遍路が続けられないお遍路も?。鍋岩には遍路宿が絶対に必要?。その鍋岩周辺が遍路宿空白地帯?に。四国遍路の第一関門の地に宿問題を突き付けてきた。この影響を受け、12番札所焼山寺への歩き遍路を諦め、やむなく11番札所藤井寺から吉野川市中心部に引き返し公共交通機関を利用し12番札所焼山寺へ向かうお遍路さんもいた。非常に残念なことである。鍋岩周辺にはキャンプ地も無いためこの周辺で無断野宿者が発生し周辺住民とのトラブルも懸念される。四国遍路文化継承のために鍋岩集落周辺には遍路宿が絶対に必要。
・政府の緊急事態宣言を受け11番札所手前にある無料宿泊施設である「鴨の湯」が閉鎖。この情報を把握できず、「鴨の湯」を目指したお遍路さんは新たな野宿場を探すために周辺を徘徊。とある歩き遍路は野宿場所に困っているお遍路さんに対してへんろの里で野宿場所を提供。
・近年、歩き遍路さんのためのゲストハウスがオープンしている。オーナ―の多くが四国遍路の魅力にはまった四国以外からの移住者彼らは、この騒動化においても感染予防対策を講じお遍路さんに宿を提供したいが、もし、コロナウイルス感染者が発生すると廃業を覚悟しなければならないジレンマに落ちいっている。
・コロナ騒動で、四国遍路に関する課題が発生している。課題の洗い出しとその解決策が四国遍路発展に寄与するのでは?。

4.その他
・17番札所傍の善根宿「栄タクシー」と22番札所脇の善根宿「菊屋」が閉鎖。時代の変化かな?。
・昨年かな?。2番札所金泉寺宿坊が閉鎖。とある歩き遍路は・・
・40番札所観自在寺の通夜堂が一泊1000円のシャワー付き宿に。とある歩き遍路はいい方向だなと感じています。


へんろの里で歩き遍路から情報収集 

情報収集内容は、①どこから、②遍路形態、③何回目。④交換内容等から宿泊形態、年齢を推測。⑤外国人遍路には四国遍路に挑戦するきっかけを。その情報交換等の集計結果&日本人遍路と外国人遍路の遍路形態を比較。

外国人遍路と日本人遍路の比較(外国人52組/日本人483組)
年齢】外国人遍路は若者が69% 日本人は高齢者遍路が61%
外国人 ~39歳:36組(69%) ~59歳:5組(10%) 60歳~:11組(21%)
日本人 ~39歳: 88組(18%) ~59歳:99組(21%) 60歳~:296組(61%)
宿泊】 外国人&日本人若者は野宿/宿遍路が多い 野宿遍路率
  外国人: 25組(48%) 日本人:72組(15%)
性別】 日本人は男性が多い 外国人は女性 ペア・グループが多い
外国人 男:30組(58%)女性:13組(25%)ペアG: 8組(15%)
日本人 男:359組(74% 女:78組(16%)ペアG:41組(9%)団体:5組
打ち方】外国人は観光遍路も目立ったが、今年は少ないね。
外国人 通し:27組(52%)区切り:22組(42%)観光:3組( 6%)
日本人 通し:219組(45%)区切り:264組(55%)研修等:-組(0%)
回数】外国人5回が3名も 日本人の最高は22回  
60歳以上は約59%が複数回
外国人 初めて:46組(88%)2回:3組(6%)5回目:3組(6%)
日本人 初めて:339組(70%)2回:52組(11%) 3~5回:22組(5%)  5回~:49組(10%)   10回~:21組(5%)
逆打ち(今年は閏年)】 
外国人:2組(4%)   日本人:77組(16%)

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チョット気になる遍路紀行を紹介

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ブログUP日:2020日12月22日

へんろ仲間であるドンさんは元徳島大学英語講師。1948年 USA生まれ。徳島市在住。四国あるき遍路歴は約30年。外国人四国歩き遍路の先駆者である。
とある歩き遍路はドンさんと連携し外国人遍路に向け「英語版のとある歩き遍路」で情報発信している。 
https://ohenro.jp/blog/foreigner/

ドンさんは遍路紀行をYou Tubeで発信している。タイトルは「ひたすら歩く」。素敵だよ。どのように素敵なの?。どう表現すればいいのかな?。何はともあれここをクリックしてみよう!!。
https://www.youtube.com/channel/UCOZKaIY3p-W1g2LIRUTYq3g

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四国路にも新型コロナウイルスの影響が(その10:お遍路さんは帰ってきたが油断大敵だよ!)

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ブログUP日:2020/11/03

 閏年は逆打ちするお遍路さんが多くなる。今年は閏年。
 「とある歩き遍路」は11番札所藤井寺手前にある「へんろの里」で遍路さんを観察。 閏年のため 1-3月は特に車遍路はその傾向が顕著で観光バス遍路は殆ど見かけなかった。歩き遍路も例年より出足は悪いようであったが車遍路のような極端な現象は無かった。しかし、コロナ禍の影響で4月中旬には四国霊場のお寺も閉山となり、歩き遍路も殆ど見かけなくなった。時たま見かけるのはコロナ規制前に出発した逆打ちお遍路さんだった。
 コロナ患者数も落ち着き、9月頃から「Go to トラベル」等により経済活動が徐々に回復するにつれ車遍路、歩き遍路も急速に回復してきた。とある歩き遍路が「へんろの里」前で確認した歩き遍路の昨年との比較は下表のとおり。日本人遍路はほぼ7-8割がた回復したような感じである。外国人へんろは入国規制のため入国できないが、日本在住の外国人をちらほら見かける。このような状況下において、在日外国人遍路を見かけるということは、外国人にも四国遍路の良さが浸透してきているのかな??!!?。

日本人歩きお遍路さんが回復してきたことは良いことだと思う。しかし、チョット気がかりなことがある。9月頃のお遍路さんの情報では夜行バス、新幹線とも空いていてお客さんはまばらだよとのこと。昨日(11月2日)、関東、東海方面からのお遍路さんの情報では夜行バス、新幹線ともほぼ満員。こんなに混んでいるとは想像できなかったとのこと。「Go to トラベル」を利用しての旅行者が増加。3密状態での移動時にコロナに感染しなければいいのだが。チョット心配だ。


車遍路も同様に回復してきた。大型観光バス遍路は昨年まで観察していないので比較はできないが、今年8月までに確認したのは僅か4台であったが9月は5台、10月は37台と急回復している。また、今年の特徴はマイクロバスが多く、3-4台編成のマイクロバスを見かけるようになった。これもコロナの影響かな?!。


お遍路さんが戻り、遍路宿も活気を取り戻してきたことは、本当にありがたい。しかし、コロナ菌は私たちの周りをさまよっている。くれぐれも、感染防止対策を怠らないようにしてね。

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めだかの里お遍路案内所情報 「その6:案内所が完成したよ」

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ブログUP日:2020/10/26

「里山藤井谷で遍路をおもてなす会」の重要な事業である「へんろ案内所」が完成した。

この事業に要した建設費は約200万円。建設費の一部は、遍路宿、地元住民からの支援金と徳島県助成金を受け完成したよ。詳細は次のとおり。

施設整備費

  項 目建設費    摘    要
1.東屋躯体建設費1,126,350
2.歩道橋新設  67,000
3.車道橋拡幅100,060
4.外国人HP開設  147,890徳島県助成金:55,000
5.Wifi設備設置   99,000徳島県助成金:22,000
6.案内板新設  313,500徳島県助成金:100,000
  合  計1,853,800

施設整備費の資金調達は

項目金  額    摘   要
1.徳島県助成金177,000
2.支援金330,600
 浅野 敏司 30,000浅野総本店(#11切幡寺麓で
遍路用品販売)
 松下 直行 30,600外国人遍路地図著者
 福鹿  実 30,000増田知人(埼玉在住)
 鮒の里 30,000遍路宿:18-19番(小松島市)
 宮本 光夫 30,000歩き遍路写真が趣味
 坂野 正勝 30,000藤井谷4人組/坂野建設
 宮原 悦久 30,000藤井谷4人組
 宮本 和夫 30,000藤井谷4人組
 谷  高博 17,000吉野川市図書館館長
 あわらくや 10,000遍路宿:10-11番(吉野川市)
 吉野旅館 10,000遍路宿:10-11番(吉野川市)
 まほろば 10,000遍路宿:52-53番(松山市)
 鱗楼  5,000遍路宿:16-17番(徳島市)
 キッチンみつ佳  5,000遍路宿:23-24番(海陽町)
 うらしま  5,000遍路宿:26-27番(室戸市)
 ホテルセリーズ  5,000遍路宿:30-31番(高知市)
 高知屋  5,000遍路宿:33番前(高知市)
 桐原 和夫  5,000長野県歩きへんろ
 内藤 靖子  5,000吉野川市在住
 藤本 敏文  3,000増田知人(徳島在住)
3.めだか売上他  1,346,200
  合   計1,989,660

工事実施状況 

Ⅰ.東屋建設(四人組直営。坂野建設の重機が活躍。壁、内装は年内
に実施。2021年1月開業予定)

Ⅱ.歩道橋新設(四人組直営。坂野さんの山から檜木を伐採。製材は
宮原さんが)

Ⅲ.車用橋拡幅(4人組直営)

Ⅳ.看板設置

Ⅴ.Wifi設備 & 外国人HP(QRコードで検索してね。)

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野宿・野営遍路の課題と心得

<<=TOPに戻る <<=へんろ小屋情報 <<=道の駅情報 

ブログUP日:2021/03/25

日本人、外国人遍路の若者の多くは、小屋、 テント等を利用する野宿・野営タイプが多い。
最近、複数回、歩き遍路を経験し 小屋事情等を把握している高齢歩き遍路者が 外国人野宿・野営遍路に徴発されたかどうかわからないが野宿遍路に挑戦している?。
近年の野宿・野営遍路者の増加に伴い地元住民とのトラブルも発生しているようだ???。その原因は?。


遍路休憩所‣小屋の課題は❔
「Shikoku Japan 88 Route Guide」に記載されている主要遍路道沿いの休憩所、小屋等は250カ所以上ある。これらの施設は、基本的に休憩所であり宿泊場所ではない。
この小屋利用に関して問題が生じている。どんな問題❔。
①お遍路さんの行動に起因するもの。例えばマナーを無視した行動。ごみの放置、飲酒等による騒音問題等。
②日本人、外国人遍路は小屋のマークがあれば小屋で野宿ができる?と判断。しかし、小屋には水道、トイレも無く又雨風を凌ぐ場所も無いため、排せつ物等に関 して地元住民との間で問題が生じている?。

遍路休憩所・小屋の利用方法について(<<=休憩所・小屋情報)
宿泊可能もしくは宿泊不可と明示されている小屋は稀である。ほとんどの小屋は宿泊の可否についての表示は無い。また、多くの小屋は水道、トイレ設備がない。
これら小屋の利用上の注意事項は
・水道、トイレの無い施設での野宿・野営は禁止。
・市街地・民家と隣接している施設での野宿・野営は禁止。
・野宿・野営した場合、 集団での飲酒等の禁止の厳守、使用後の
整理整頓の励行等が必須である。
過去、これらの規則を守らず、近隣等に迷惑をかけたため野宿・野営禁止となっている施設が散見される。
お遍路さんはこれらの小屋情報を知るべき情報源が乏しい。とある歩き遍路は、HPでこれらの小屋情報を提供していきたい。

道の駅の課題は❔
通常、車の夜間駐車(宿泊)は多くの施設が黙認?。ほとんど問題は生じていない?。しかし、歩き遍路が?道の駅の東屋を利用した場合、なぜ、こんな所で野宿するのかと邪魔者扱い?。

道の駅の利用方法について(<<=道の駅情報)
もし、あなたが道の駅で地元住民に「道の駅の東屋で泊まっていいですか?」と尋ねると多くの場合「わからない?」。施設の関係者であれば「断わられる」場合もある。また、高知県の道の夜須は野営・野宿禁止であるよ。
とある歩き遍路は、お遍路さんに利用したいのであれば、黙って、施設閉店後、人気が無くなった時を見計らって施設の片隅で目立たないように宿泊をするように助言。また、出発時にはきちっと清掃すること。あなたがゴミを放置したり、夜、飲酒等により近隣に迷惑をかけるような行為を行うと、その施設の責任者は、「道の駅エリア内での野営禁止」の看板を掲げるでしょう。「あなたの行為がその施設を使用できなくする当事者となりますよ。」と助言している。

JR等の無人駅舎での野宿・野営も禁止
田舎の無人駅舎であっても夜10時過まで列車は運行しており乗降者がいる。そのような公共の駅舎での野宿・野営は禁止である。
また、JR四国等は経費節減の観点?????から無人駅のトイレを廃止しており、小屋の利用と同様にトイレの無い場所での野宿・野営は禁止である。

キャンプ場の課題は❔
キャンプ場の使用料金は、車キャンプが基準となっている?。キャンプスペースは車の駐車場、バーベキューができるスペース等を考慮し非常に広い区画(例えば10m*10m)となっている。料金単位は車が基準?。使用時間は1日単位。シャワールームは夏期のみオープン。1日当たりの使用料は2,000円-3,000円程度?。
ほとんどのキャンプ場は、歩き遍路がキャンプすることを想定した料金体系にはなっていない?想定していない?。お遍路さんの場合、個人で利用、利用期間は午後3時頃?から翌朝7時頃?まで。占用スペースも限られた区画(例えば2m*2m)で十分。このような環境で車キャンプを基準とした料金がお遍路さんに適用されている場合が多い?。料金はゲストハウスと同程度の2,000-3,000円?。このため多くの歩き遍路は正規のルールを経ず、こそっとキャンプ。トラブルの原因に?。
とある歩き遍路は、今後、自治体等に対して、歩き遍路が野営することも考慮し、その条件に即した料金を設定するよう働きかけていくことが必要と感じている。

善根宿・通夜堂の課題は❔
 善根宿は、過去、ライ病等の患者、犯罪者等で村八分村となり世間から見放され、お遍路する人たちが多くいた?。これらのおへんろさんが集落内で宿泊するのを隔離するために集落の出入り口等に設けられた無料で泊まれる宿が善根宿?????。
 通夜堂は 死者を弔うために夜を通して仏事を勤行するための方々に寺の境内に設置されたお堂。 交通が不便な昔は、遠来の方で帰宅することができず宿泊施設としても利用?????。
四国では 本来の通夜のためのお堂ではなく、「歩き遍路」が無料で宿泊できる施設を「通夜堂」と呼んでいる?。歩き遍路にとってはありがたいお接待となっている。 昔は貧しく、世間から見放され限られたお遍路さん???が活用。しかし、近年、日本人の若者、外国人等の多くが無料で宿泊できる宿として、多くのお遍路さんが押しかけトラブルが生じている???。
とある歩き遍路が得た情報で、この一年(2020年)に閉鎖された善根宿は、17番札所近くの「栄タクシー」。22番札所近くの「菊屋」。高知の「萩森善根宿」が閉鎖。また、通夜堂も閉鎖しているところがある。
とある歩き遍路は、「善根宿、通夜堂」は戦前遍路時代の文化????。現在の遍路文化に即していないと解釈しています。また、善根宿を提供している方からHP等で公表しないで欲しいとの依頼もあるので善根宿、通夜堂に関する情報は発信する予定はありません。
これらの施設を利用する遍路さんへ。日本には、お布施という風習があります。翌日、出発する時には、お礼と感謝の意を込めて何某かのお布施を。

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