ブログUP日:2018/12/15
・19番札所立江寺から20番札所鶴林寺までの遍路道には四国遍路道で一番古い丁石(1366年)、江戸期(真念しるべ石)、明治期(中務茂兵衛)等多くのしるべ石が残存している。
・現在の遍路道から外れた道沿いにも「真念しるべ石」&「文化文政(1790年頃)の地蔵尊」等多くのしるべ石が残存している。
・小松島市立江町の「団塊世代の遍路大将 遍路宿 鮒の里 主の吉成さん」は、「遍路道から外れた道沿いの江戸期の真念しるべ石等」に着眼。「遥か昔(江戸期)のルートがあるはずと!!?」。親父さん・村の長老、遍路大将の若き時代の記憶を頼りに、そのルートを調査してきたのだ!!!。
・このルートの全容が見えてきたので「『遍路宿 鮒の里』から『19番札所立江寺白鷺橋経由し現在の遍路道&古道の合流地点である勝浦町生比奈』までの約7㎞」を3回ルート探索。
2018年11月22日「鮒の里主吉成さん&丸橋さん」。11月24日には「鮒の里の主吉成さん&山下先達者」。12月1日「英語版遍路地図『Shikoku Japan 88 Route Guide』の作成者松下さん」と。
本区間を「英語版遍路地図『Shikoku Japan 88 Route Guide』作成者松下さん」がプロットした地図は次のとおりだよ!!!。既存遍路道(赤線)は6.9㎞。真念古道(黒線)は7.4㎞。古道が500m程長いが安全で情緒があるよ!!!。
「鮒の里」から約300m遍路すると、19番札所立江寺傍の「白鷺橋」手前に「中務茂兵衛(なかつか さもへい)しるべ石」が
「中務茂兵衛しるべ石」から300m程遍路すると「立江寺奥の院」への「大きなしるべ石」。
奥の院から少し打ち戻し現在の遍路道へ。ここに「古いしるべ石(昭和10年)」が。この「しるべ石」は現在の道路新設時に移設されたであろうか?!?。
現在の遍路道を少し遍路すると右に「江戸期の照蓮しるべ石」が。江戸期の遍路道は山沿いの右生活道へ。しかし、この「しるべ石」は、現在の左県道を示している。県道新設時に移設されたと思われる。
みかん畑沿いの古道?を辿る
生活道(古道?)を辿ると高速道路建設現場へ。その近くには江戸期?の地蔵が
更に生活道を辿ると、現在の遍路道手前に案内板もなく簡単に持ち運びができる状態の「第一番目の真念しるべ石」が
そのわきに天満神社が
そこから昔の遍路道?(現在は生活道)から現在の県道沿いの遍路道を遍路
現在の県道遍路道を少し遍路すると「第二番目の真念しるべ石」と「明治期のしるべ石」があるが、ブロック塀に遮られて見ることができないので通り過ぎてしまう!!!。現在の遍路道はここを直進だが「明治期のしるべ石」は右折の矢印が
更に遍路すると「江戸期のお堂」&「第三番目の真念しるべ石」がある。
「第三の真念しるべ石」から少し遍路すると「第三の真念しるべ石」脇にあった同じ形の地蔵が。その地蔵には文政と刻印されている。
ここから先は「鮒の里 吉成さん」が半年ほどかけて密にルート調査!?!。竹林を遍路し峠!?!へ、
峠!?!には「江戸期寛政2年(1798年)に設けられた地蔵尊」がある!!!。
地蔵尊は昭和60年(1985年)に移設?!?。そこには「地蔵尊由来」が記されている。
尾根筋遍路道をすると平成時代に移設された「地蔵」がある。
ここから先、20番札所鶴林寺側は様相がガラッと変わる。1960年ごろ「みかん畑」として開発された地形に!?!。ここから「道しるべ」は全くない。開墾された山肌を1㎞程下ると、現在の遍路道に合流。
現在の遍路道を少し辿ると「文化年間の石仏」が。
この先にコンビニローソンがあるが、ここはローソン少し手前で南側の生活道へ。目印は「生夷神社」の看板。この生活道を辿り勝浦町生比奈へ。JA生比奈脇で現在の地図に記されている遍路道に合流。
生比奈には和菓子店「前松堂」がある。ここの草餅は美味しいよ。2個220円だ。お茶のお接待もあるので立ち寄ってみては如何!?!。
当該区間の距離を比較
・既存ルートは6.9㎞ 古道ルートは7.4㎞。 古道ルートが500m程長い。
・古道ルートは来年(2019年)3月までに草刈等を行い道しるべを設置し、お遍路さんが「この真念古道」を利用できるようにする予定です。