歩き遍路沿線には、29の『道の駅』がある。「東屋」も備えている『道の駅』も有り、歩き遍路にとって『道の駅』は、第二の宿場だ!!!。
なぜ?「第二の宿場???」。(1)清潔なトイレ。(2)地元グルメが味わえる。(3)スマホ等の充電ができる?。(4)一部であるが、Wifiが使える道の駅もある。(5)雨風を凌げる場所でもある。
「野宿へんろ」、「区切りへんろ」にとっては、『道の駅』は特別な場所。まさにオアシスだ!!!。また、多くの車遍路の方も車で一夜を過ごしている。
Ⅰ.通夜堂(つやどう)
夜を通して仏事を勤行するために、寺の境内に設置されたお堂。夜通しお勤めをすることを「通夜」と言う。また、四国では、本来の通夜のためのお堂ではなく、「歩き遍路」が無料で宿泊できる施設を「通夜堂」と呼ぶ場合もある。中には布団やベッド、炊事施設まで備えられた通夜堂もあり、歩き遍路にとってはありがたいお接待となっている。(Wikipedia引用)
私が一覧表にまとめることができた四国88カ所札所等にある通夜堂は、21カ所。詳細は次表のとおり。通夜堂のある札所が減っている。その理由は利用者のマナー等に問題がある???。利用されるお遍路さんは、通夜堂利用の許可を得てください。また、マナーを守り、後に続くお遍路さんの為にも整理・整頓・清掃に心掛け、ごみの処理はお寺の指示に従い処理しましょう。特に、無人の通夜堂利用時は、自己責任で特にマナー厳守してね。
06番札所安楽寺:仁王門の二階に
08番札所熊谷寺:数年前に廃堂
11-12番札所途中 柳水庵 写真無し
12番札所焼山寺:数年前に廃堂
17番札所井戸寺 境内中央、太子堂前
Ⅱ.善根宿(ぜんこんやど)
修行僧や遍路、貧しい旅人などを無料で宿泊させる宿。宿泊させることは、自ら巡礼を行うのと同じ功徳があるとされた(デジタル大辞泉の解説 引用)。
善根は、仏語。よい報いを招くもとになる行為。また、さまざまの善を生じるもとになるもの(デジタル大辞泉の解説 引用)。
納屋、倉庫等を改造した善根宿。バス等を改造した善根宿。シャワー、キッチン等を備えた快適な善根宿といろいろあります。
善根宿は、家主さんの良心・善意で提供している江戸期から遍路文化を育んできた四国お遍路文化の賜物である善根宿を理解して利用し頂きたい。
利用したお遍路さんに対しては、雨風、寒さを凌げる宿を提供して頂いたことに感謝の意を持っていただきたい。しかし、XX善根宿は・・・・・と貶すお遍路さんもいますが、何をほざいているんだと言いたい。そんなお遍路さんは、XXX者?だ。利用するなと言いたい。お遍路の資格が無い。そんなXXX者に限って、マナーを守らず、使い放題。使用後は掃除もせずに退散。このようなことも影響している???。提供者の高齢化??・・・等々により善根宿を閉じるところも有ります。このようなことも有り、・・・・・。善根宿を利用するお遍路さんは情報を収集し、提供者に感謝して利用してください。
【参考】
四国霊場八十八ヶ所巡礼 善根宿・通夜堂・野宿場所情報一覧 HP
歩き遍路時の携帯電話、スマホの充電は、どこで
通常“宿”で充電しますよね。
だが、もし、歩き遍路途中にバッテリ切れとなった場合はどうする?。
対処方法は2つ。電池式充電器で充電する方法&どこかで電源を借りて充電する方法。
どこで電源コンセントを借りることができるの?。
(1)遍路道途上にある「道の駅」で食事時に!。店主等の了解を得て。
(2)遍路道途上にある携帯Shopで?!。
(3)お遍路しているんでしょ!。納経時、お寺にお願い。大丈夫??
(4)ごく稀であるがコンセントのある東屋。
(5)野宿へんろの方は、遍路道途上にあるスーパー銭湯!?、やはり了解を得て。
遍路道の無料「Wifi」スポットは、どこに?。
(1)一部の『道の駅』
(2)一部の『遍路宿』等々
(3)『コンビニ店舗内』
17番札所井戸寺から18番札所恩山寺への遍路道にある「日本一低い弁天山6.1m」ルート
17番札所井戸寺から18番札所恩山寺への既存の遍路道から少し逸れるが井戸寺から約10㎞地点に日本一低い山『弁天山(6.1m)』がある。
既存ルートと並行しており、交通量も少なく割と安全な遍路道。距離は既存ルートとほぼ同じ。詳細は18番札所=>>
ブログUP日:2017/01/26
別格20札所番大瀧寺への遍路道
「四国遍路ひとり歩き同行二人地図」に記載されている別格20番札所への遍路道は2つ。徳島県夏子ダムから登る遍路道&香川県さぬき温泉方面から登る遍路道。
もう一つルートがある。それは徳島・香川県境にある登山道『阿讃縦走路』だ!。地元の人たちに等により綺麗に整備されている。このルートは、既存ルートより整備が行き届き、距離が既存ルート約1/3の約6㎞である。
私はこの周辺ルートを4回走破し、やっとこのルートを確認することができた。
私の知り合いSさん(数年前に区切り歩き遍路結願。)は、大瀧寺参道入口の徳島県美馬市脇町に在住。家に大瀧寺に関する貴重な資料を有している。この資料等から、私はこのルートは、『昔の遍路道であると判断』??。その根拠は
☆長谷からの遍路道について、「大瀧寺から清水一本杉まで50丁と記載された」昔の資料。
☆ルート上に明治期の石碑がある。
☆現在(2010年ごろ)の国土地理院の地図には登山道は記載されていないが、1960年ごろの国土地理院の地図等に登山道が記されている資料。詳細は別格20番札所=>>
尾根筋遍路道は上清水にある金毘羅さん境内裏から
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区切り遍路泣かせ区間は次の3カ所かな?。当該区間を遍路する場合は、前後の状況等を踏まえて区切りポイントを決めてね!!!。
その1:19番立江寺-20番鶴林寺-21番太龍寺-22番平等寺-23番薬王寺 約52㎞
この区間が区切り遍路泣かせの理由は、(1)遍路ころがし2ヶ所(鶴林寺遍路ころがし&太龍寺遍路ころがし)、峠遍路道2ヶ所(大根峠&山座峠遍路道)と行程が厳しい。(2)遍路宿過疎地区間!。(3)鶴林寺登り口「道の駅ひなの里かつうら」から23番薬王寺までの約42㎞、コンビニは無い。あるのは雑貨屋だけ。(4)最後の決め手は区切り遍路泣かせの重要な区切りポイント、JR立江駅から23番薬王寺までの区切りポイントは特急停車のJR由岐駅、それも一日4便?。各駅停車が止まるポイントもあるが主要駅へのアクセスが本当に不便だ。(5)また、この先も、遍路過疎地も有り、いろんな難関が待ち構えているよ!!!。
その2:内子町内-44番札所大寶寺-45番札所岩屋寺-46番浄瑠璃寺-47番八坂字寺-48番西林寺-49番浄土寺 約82㎞。
この区間が区切り遍路泣かせの理由は、(1)遍路ころがし1ヶ所(岩屋寺遍路ころがし)、峠遍路道3ヶ所(鵯田/農祖峠、御堂峠&三坂峠遍路道)と行程が厳しい。(2)遍路宿過疎地区間?!?。(3)本区間、コンビニがあるのは中間地点の久万高原町だけ。(4)最後の決め手は区切り遍路泣かせの重要な区切りポイントは、JR内子駅から49番浄土寺までの区切りポイントは、久万高原町から松山方面のバスだけ。
その3:四国中央市-65番三角寺-66番雲辺寺-67番大興寺-68番観音寺 約42㎞。
この区間が区切り遍路泣かせの理由は、(1)遍路ころがし2ヶ所(三角寺&雲辺寺遍路ころがし)。(2)遍路宿過疎地!!!。あるのは徳島県佐野集落の民宿岡田だけ。(3)本区間、コンビニ等は全くない。(4)最後の決め手は区切りポイント、JR伊予三島駅からJR観音寺駅まで途中の区切りポイントは無い。
Ⅰ.『遍路ころがし』とは、以下Wikipedia引用
山岳寺院札所への厳しい登りの遍路道を、遍路をころげ落とすような道の意味でこのように呼び、次の区間がある。阿波の3箇所は特に「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われる。
1.11番藤井寺から12番焼山寺への12.9 km(焼山寺道) 12番札所=>>
2.徳島県勝浦町生名から20番鶴林寺への3.1 km 20番札所=>>
3.20番鶴林寺から徳島県阿南市大井への下り2.3 km&若杉登坂口から21番太龍寺への1.5 km 21番札所=>>
4.高松市国分寺町国分から一本松への1.3 km(80番国分寺〜81番白峯寺)。残念ながら写真が無い。 80番札所=>>
このほかに次の山岳区間も遍路ころがしと呼ぶことがある。
1.27番神峯寺への最後の登り約2km、ここは真縦(まったて)とも呼ばれる 27番札所=>>
2.西条市小松町石鎚の登山口から60番横峰寺への1.6 km&60番横峰寺から61番香園寺奥の院手前までの約6km 60番札所=>>
3.三好市池田町佐野から66番雲辺寺への1.8 km&66番雲辺寺から雲辺寺観音寺川登山口までの4.3㎞ 残念ながら写真が無い。66番札所=>>
上記、7区間がWikipediaに
Ⅱ.このほかにも、厳しい山岳遍路道として
1.40番観自在寺-41番龍光寺間にある柏坂遍路道。標高差470m。41番札所=>>
2.三島公園から65番札所三角寺への遍路道。標高差430m。65番札所=>>
3.87番長尾寺-88番札所大窪寺間にある女体山遍路道。標高差300m。88番札所=>>
別格の山岳遍路道として
1.別格01番大山への遍路道。標高差430m。別格01番札所=>>
2.別格03番慈眼寺への遍路道。標高差550m。別格03番札所=>>
3.別格07番札所金山出石寺への遍路道。標高差760m。別格07番札所=>>
4.別格15番札所箸蔵寺への遍路道。標高差460m。<<=別格15番札所
5.別格20番への遍路道。標高差630m。別格20番札所=>>
高度成長期(1960年前後)の車社会への進展とともに道路改良が進んだ。それと並行し峠道は、隧道開発、新たな道路が設けられ、地元住民通行は殆んど無くなり、多くの峠道は廃退していった。しかし、お遍路道の峠道はお遍路さんの利用、地元ボランティアの協力も有り、きれいに整備されている。
私が整理した四国遍路道途上にある峠道は17ヶ所。そのうち隧道が設けられた区間は、距離が短く、高低差もないため隧道を遍路しがちである。しかし、時間的に余裕があればぜひ味わいのある旧道を遍路してみては!!!。江戸期の石碑等が多く残っているよ!!!。
主な峠道
1.塚地峠(35番札所清瀧寺-36番札所青龍寺) 36番札所=>>
標高190m、東屋から旧道へ綺麗に整備されている。江戸期の石碑も
2.七子峠(36番札所青龍寺-37番札所) 37番札所=>>
標高287m。峠への遍路道は2つ。そえみみず遍路道&大坂遍路道。大坂遍路道は現在通行止め。2017年補修完了予定。
3.松尾峠(39番札所延光寺-40番札所観自在寺) 40番札所=>>
標高300m。明治以前は関所があった。峠より少し進むと展望良好?。残念ながら写真が無い。近々、写真撮影遍路予定。暫くお待ちを!。
4.歯長峠(42番札所仏木峠-43番札所明石寺) 43番札所=>
標高480m。峠からリアス式海岸の景色はGoo!。峠手前土砂崩れのため現在通行止め。
5.鵯田峠(43番札所明石寺-44番札所大寶寺) 44番札所=>>
標高790m。峠からの展望はよくない。現在ながら写真は無い。近々写真撮影遍路を予定。
6.地蔵峠(65番札所三角寺-別格13番札所仙龍寺) 別格13番札所=>>
標高は765m。地元のボランティアグループに綺麗に整備されている。
今後、すべての峠を再度お遍路し写真をアップしていく予定。今しばらくお待ちを!!!。
1.四国霊場の納経方法は3つ。 納経その1=》
(1)納経帳、(2)掛軸、(3)白衣。
2.四国霊場別格の場合
(1)納経帳のほかに (2)20の札所をお参りした際にお寺の名前の入った珠を頂き、それを二十ケ寺念珠に仕立てる。
3.納経帳のパターン
4.納経帳への記帳?
通常は毛筆である。しかし、昔は今とは少し違っていたようだ。
私が最初にお遍路した1973年。第4番札所大日寺の記帳は木版のようなもので押されたものであった。手書きでないので、私は、「何だ、手抜きじゃないか」と感じていた。でも、掬水へんろ館 HP資料をみて、なるほどと納得 以下資料引用(この記事は2001年?)。
本来、四国88カ所の納経は木版を押す。こちらの方が原型だということです。それがなぜ手書き主流になってきたのかは分かりません。
しかし、最近、大日寺でも、その貴重な木版納経がついに姿を消しました。2000年1月に妻と二人で遍路をしたときに、他の札所と同じように手書きの納経になっていたのです。今回は由来を知った上で木版納経との再会を楽しみにしていただけに、またまたガッカリしてしまいました
納経所の話によると、「88カ所の中で、古来の形式を今まで保ってきたのはここだけだったが、経緯を知らない参拝客からは『木版だとありがたみが少ない』などという声もあった。先代が亡くなったのを機に、今年から手書きで納経することにした」とのことです。残念な気もしますね。
他に変わった納経としては、第3番奥の院「愛染院」の刷毛納経があります。四国で唯一だそうですが、筆の代わりに刷毛を使って墨書してくれます。「雲さん」のホームページで知ったので、2000年1月の2巡目の遍路のとき立ち寄って納経して頂きました。
また、同じお寺でも書き手が異なるとこれが同じお寺の納経かとうたがいたくなる。
5.記念納経
(1)1973年弘法大師御生誕1200年記念
(2)1984年弘法大師御御入定1150年記念
(3)2015年弘法大師御開場1200年記念
6.非常にわかりやすい納経