「霊場予備知識」カテゴリーアーカイブ

「四国遍路ひとり歩き同行二人地図」をサポートする便利な無料地図

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ブログUP日:2018/02/13

歩き遍路に関する地図はたくさんある。今までに「とある歩き遍路」が推薦した歩き遍路地図は、
・横綱の「四国遍路ひとり歩き同行二人」&「それをベースに作成した『Shikoku Jpan 88 Route Guide』」。

左:2010.3出版。右:2016.4出版(2017.10)
左:2010.3出版。右:2016.4出版(2017.10)
英語版遍路地図(2017年版)
英語版遍路地図(2017年版)

・「文化庁発行、無料の「歩き遍路のための『四国遍路』巡礼マップ」

文化庁発行冊子(2018.2)
文化庁発行冊子(2018.2)
21-22番平等寺ルート図(2018.2)
21-22番平等寺ルート図(2018.2)

・「NPO四国路おへんろ倶楽部発行の『日本遺産 四国八十八ケ所霊場/おもてなしの宿』。毎年リニューアル。

フリー遍路地図(2016.2)
フリー遍路地図(2016.2)
平成29年版NPO四国路へんろ倶楽部発行冊子(2018.2)
平成29年版NPO四国路へんろ倶楽部発行冊子(2018.2)

・今回、「四国遍路ひとり歩き同行二人」&「それをベースに作成した『Shikoku Jpan 88 Route Guide』」をサポートする地図を2つ紹介したい!!!。


その1:「NPO四国路おへんろ倶楽部発行の『日本遺産 四国八十八ケ所霊場/おもてなしの宿』」
・この冊子は3分冊。「徳島・高知版 愛媛版 香川・高野山版」
サイズはA5。
・内容は「札所概要/伽藍配置図、歩き遍路ルート図&協賛?おもてなし宿」。また、協賛?おもてなし宿は、宿の全景写真等が参考になります。「とある歩き遍路」は、伽藍配置図を参考にさせて頂いています。
・取得方法:料金は有料となっているが、「ほとんどの遍路宿で無料でGetできる」。
・この資料は、「四国遍路ひとり歩き同行二人」&「それをベースに作成した『Shikoku Jpan 88 Route Guide』」をサポ-トする資料として利用価値大いにgoo!!!。

NPO四国路へんろ倶楽部発行冊子(2108.2)
NPO四国路へんろ倶楽部発行冊子(2108.2)
冊子概要/地図・札所概略図・おもてなしの宿(2018.2)
冊子概要/地図・札所概略図・おもてなしの宿(2018.2)

その2:徳島県観光協会が発行している徳島県エリア「昔からの歩き遍路地図『空海の道』」
・この冊子は4分冊。
No1:阿波の北方空海の道(1番-10番)
No2:最後まで残った空海の道(8番-12番)
No3:衛門三郎を偲ぶ最後まで残った空海の道(12番-17番)  No4:最後まで残った空海の道(17番-23番)
・サイズはA3サイズだが折りたたむこと可。折りたたむと名刺より少し大きめで持ち運びに便利。
・内容は「歩き遍路ルート図、新旧遍路道標石、宿泊・トイレ□こコンビニ・郵便局等施設位置図」。
新旧「へんろ道しるべ」位置図は興味深いですね!。
トイレ、コンビニ等も記載されていていてGooだよ!!!。
取得方法:徳島県観光協会へ電話等で申込み。
申込み電話番号は088-652-8777。
なお、在庫が無い場合も有りますのでご了承がいます。
・この資料も「その1」同様に「四国遍路ひとり歩き同行二人」 &「それをベースに作成した『Shikoku Jpan 88 Route Guide』」サポ-ト資料として利用価値大いにgoo!!!。残念なことに徳島県限定だよ!。

徳島観光協会発行冊子(2018.2)
徳島観光協会発行冊子(2018.2)
ルート全体がイメージ出来る(2018.2)
ルート全体がイメージ出来る(2018.2)

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四国霊場にある「『国指定 有形文化財』はここに!」

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ブログUP日:2018/01/22

四国霊場にある「国が指定した有形文化財 『重要文化財』」は何処に。仏像等の重要文化財は日常拝観することは出来ないので、このコーナでは拝観できる建造物中心に取り上げる。

重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。

国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。


四国霊場にある「国宝」は3か寺
・51番札所石手寺二王門
・52番札所太山寺本堂
・70番札所本山寺本堂
「重要文化財」は15か寺に34点
・徳島(1か寺):10番切幡寺
・高知(2か寺):29番国分寺,31番竹林寺
・愛媛(4か寺):45番岩屋寺,49番浄土寺,51番石手寺,52番太山寺
・香川(8か寺):68番観音寺,70番本山寺,75番善通寺,80番国分寺
□□□□□□:81番白峯寺,84番屋島寺,86番志度寺,87番長尾寺


1.10番札所切幡寺(重要文化財大塔

 大塔:建立1618年。大阪住吉大社神宮寺の西塔を明治初年に移築したものである。初重方五間、二重方三間の二重塔で、平面及び形態ともに特異な遺構で、全国唯一のものである。このような塔は天台宗関係に存在したことが推定されるので、日本における塔の意義と歴史を考える上に重要な資料を提供するものである。
切幡寺重文二重塔(2016.2)
切幡寺重文二重塔(2016.2)

2.29番札所国分寺(需要文化財:本堂/梵鐘)

本堂:杮茸、寄棟造。永禄元年(1558年)長曾我部国親・元親親子の建立。明治37年8月29日指定
梵鐘:平安時代前期の作、口径47cm、高さ63.8cm、重量225kg、昭和31年6月28日指定 (Wikipedia)
萱葺きの本堂(2016.6)
萱葺きの本堂(2016.6)

3.31番札所竹林寺(重要文化財:本堂&書院)
本堂:入母屋造、杮(こけら)葺き。桁行・梁間とも5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。扉に桟唐戸を用い、垂木を扇垂木とし、組物は二手先の詰組とするなど、細部には禅宗様建築の意匠が用いられている。内部は中央の方三間を内陣、その前方を内陣、両脇を脇陣、後方を後陣とする。内陣には本尊文殊菩薩像を安置する厨子を置き、内外陣の境には蔀(しとみ)を入れる。建立年代は、同じ高知県内の土佐国分寺金堂との比較から、室町時代と推定されている。
書院:江戸時代後期・文化13年(1816年)建立、玄関は切妻造り、車寄せは唐破風造り、主屋は入母屋造り。藩主参詣の際の接待殿として造営。2017年指定 (Wikipedia)
本堂(2016.6)
竹林寺本堂(2016.6)

4.45番札所岩屋寺(需要文化財:大師堂)

大師堂:大正9年(1920年)の建立。設計は愛媛県出身で大蔵省営繕管財局技手などを務めた河口庄一、大工は窪田文治郎らである。宝形造、銅板葺き。正面の向拝の柱は左右とも双子柱とし、母屋の四隅は3本組の柱とする。これは伝統的仏堂建築にはみられないものである。向拝柱は上部を細くしたエンタシスとし、柱上部にはバラの花と房飾りを彫り出し、柱下部にはフルーティング(溝彫り)を施すなど、随所に西洋建築のディテールを取り入れている。伝統的仏堂建築に新様式を取り入れた、近代仏堂の代表作として、2007年に国の重要文化財に指定された。(Wikipedia)
太子堂(2016.4)
岩屋寺太子堂(2016.4)

5.49番札所浄土寺(重要文化財:本堂)

本堂(附:厨子):文明16年(1484年)建立、昭和28.3.31指定
(Wikipedia)
浄土寺本堂(2016.5)
浄土寺本堂(2016.5)

6.51番札所石手寺(国宝:二王門。重要文化財:本堂他6点)

国宝二王門 :三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き。『伊予古蹟志』に文保2年(1318年)の建立とある。様式的にもその頃の建立とみられ、鎌倉期建築の特徴がよく現れている。上層の回縁の出が大きく、入母屋屋根の反りが高い。組物は上層・下層ともに三手先(みてさき)とし、中備(なかぞなえ)は正面は三間とも本蟇股(ほんかえるまた)、側面は間斗束(けんとづか)とする。

重要文化財
本堂:本瓦葺き、正面側面とも五間、単層入母屋造りの仏堂。鎌倉末期。
鐘楼(袴腰造):元弘3年(1333年)の建立(柱墨書による)
三重塔:鎌倉時代末期
護摩堂:室町時代初期
訶梨帝母天堂:鎌倉時代末期
五輪塔:鎌倉時代末期 1995年に石手寺門前から境内裏手へ移建
銅鐘:総高104.6cm口径59.8cm、鋳銅製、建長3年(1251年)6月の銘
(Wikipedia)
国宝の仁王門(2016.5)
国宝の仁王門(2016.5)
重要文化財本堂(2016.5)
重要文化財本堂(2016.5)

7.52番札所太山寺(国宝:本堂。重要文化財:二王門)

国宝本堂:鎌倉時代。本堂内から発見された墨書により嘉元3年(1305年)の建立と判明する。桁行7間 (16.38m)、梁間9間 (20.91m)。屋根は入母屋造本瓦葺きで木造建築としては県下最大である。柱はすべて円柱で、正面の柱間をすべて蔀(しとみ)とするなど、建築様式は和様を基調とするが、虹梁(こうりょう)の形状など細部に大仏様(天竺様)を取り入れている。堂内手前の参詣者が立ち入る部分は板敷きとする。その奥は柱間5間×5間分の床を一段高く造り、手前を畳敷きの外陣(げじん)、奥を土間の内陣とする。内陣には横長の宮殿 (厨子)を置き、7躯の十一面観音立像(秘仏)を安置する。宮殿のある内陣を土間とするのは延暦寺根本中堂など天台宗系仏堂にみられる手法である。明治37年(1904年)8月29日重要文化財(旧国宝)に、昭和29年(1954年)6月28日国宝に指定された。宮殿の7躯の十一面観音立像と最奥に祀られている十一面観音立像(舟形光背を有する)は、平成26年(2014年)10月18日から26日まで、50年ぶりに、宮殿の背後に祀られている五智如来や多くの仏像と共に公開された。

重要文化財二王門:入母屋造本瓦葺き八脚門。鎌倉時代。明治37年(1904年)8月29日指定 (Wikipedia)
嘉元3年(1305年)建立。国宝の本堂(2016.5)
嘉元3年(1305年)建立。国宝の本堂(2016.5)
太山寺 重要文化財の二王門(2016.4)
太山寺 重要文化財の二王門(2016.4)

8.69番札所観音寺(重要文化財:本堂)

本堂(附:厨子、棟札): 寄棟造、本瓦葺き。室町時代建立の前身堂の部材を用いて延宝5年(1677年)に建立されたもの。重要文化財指定名称は「観音寺金堂」。昭和34・6・27指定(Wikipedia)

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9.70番札所本山寺(国宝:本堂 重要文化財:二王門)

国宝本堂(附 厨子3基、棟木の部分1枚):正安2年(1300年)に京極氏と佐々木氏の寄進によって再建された。棟木と礎石に残された墨書から、正安2年の建立が裏づけられる。桁行(正面)五間、梁間(側面)五間の寄棟造、本瓦葺(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す用語)。円柱を用い、建築様式は純和様に近いが、側面と背面に桟唐戸(さんからど)を用い、外陣に渡した虹梁上に大瓶束(たいへいづか)を用いる点など、細部には禅宗様を取り入れている。平面構成は手前の梁間二間分を外陣とし、奥は中央の桁行三間・梁間二間を内陣、その周囲を脇陣ならびに後陣とする。正面の五間の柱間装置はいずれも蔀戸(しとみど)である。外陣は中央よりに2本の大虹梁(だいこうりょう)を渡し、その上に大瓶束を立て、入側柱2本を省略している。内陣は大型厨子内にさらに3基の厨子を置き、中央に本尊馬頭観音、左右に薬師如来と阿弥陀如来を安置する(いずれも絶対秘仏)。1955年に修復工事を実施。昭和30年6月22日指定。

重要文化財二王門:室町時代中期建立の三間一戸八脚門。切妻造、本瓦葺。主柱、前後の控柱ともに円柱とする。建築様式は和様を基調とするが、柱の下部に礎盤を設ける点など細部に禅宗様を取り入れている。明治37年8月29日指定。(Wikipedia)
本山寺 国宝:本堂(2016.4)
本山寺 国宝:本堂(2016.4)
重要文化財 仁王門(2016.4)
重要文化財 仁王門(2016.4)

10.75番札所善通寺(重要文化財:本堂/五重塔)

金堂(本堂):元禄12年(1699年)上棟。入母屋造、本瓦葺き。外観は二層に見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、方三間の身舎(もや)の周囲に一間の裳階をめぐらす(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。粽(ちまき)付の円柱を用い、貫を多用し、組物を詰組とし、桟唐戸、花頭窓、波連子の欄間、海老虹梁を用いるなど、禅宗様の構造や意匠を多用するが、天井を鏡天井でなく小組格天井とするのは和風の要素である。柱には粽を設けるが礎盤は省略している。垂木は身舎を禅宗様の扇垂木、裳階は平行垂木とする。内部は敷瓦を四半敷きとし、仏師・北川運長により造られたと云われる本尊薬師如来坐像(寄木造り、漆箔、像高約3mの丈六仏、江戸中期作)を安置する。
五重塔:1884年再建。高さ43m(礎石上〜相輪頂上)、総欅造、三間五重塔婆、本瓦葺。江戸時代末期の安政年(1854年)に着工し、3代の棟梁が携わって、明治35年(1902年)に竣工した。二重〜五重の内部にも床板を張り、人が登れる構造になっている。
(Wikipedia)
重要文化財 本堂(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)

11.80番札所国分寺(重要文化財:本堂)

本堂:5間四方の入母屋造で、重要文化財に指定されている。奈良時代の講堂跡に立ち、その礎石を再利用している。鎌倉時代後期の建立。明治37年8月29日指定(Wikipedia)
国分寺本堂(2016.5)
国分寺本堂(2016.5)

12.81番札所白峯寺(重要文化財 本堂他9点)

石造十三重塔 - 2基:源頼朝が崇徳天皇の菩提のために建立したと伝えられ、東塔(画像の奥)は総高5.95mの花崗岩製で弘安元年(1278年)建立、西塔(画像の手前)は総高5.62m角レキ凝灰岩製で元亨四年(1324年)建立、昭和29・9・17指定

建造物 9棟:平成29・7・31指定
本堂(附:厨子):慶長四年(1599年) 再建。毎年7月10日、本尊千手観音が開帳される(時間は午前10時からの法要の時間だけ)。脇侍は愛染明王と馬頭観音であるがいずれも秘仏。
大師堂(附:厨子、棟札1枚):文化八年 (1811) 再建。中央に弘法大師、左に稚児大師、右に青面金剛を安置するがすべて秘仏
阿弥陀堂:万治四年(1661年)建立。中央に阿弥陀如来、脇侍に勢至菩薩、観音菩薩を安置。また背後に千体の阿弥陀仏を安置。
行者堂(附:棟札1枚):安永八年(1779年)再建。中央に役行者、周りに十王、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩を安置する。
薬師堂:十九世紀前期建立。中央に薬師如来、脇侍に日光菩薩と月光菩薩、手前に眷属の十二神将、向かって左側に金剛界大日如来、向かって右側に胎蔵界大日如来を安置するがすべて秘仏。
頓證寺殿(崇徳上皇殿、本地堂、白峯権現堂、拝殿)(附:棟札7枚):延宝八年(1680年)建立。崇徳天皇の廟所である頓証寺殿の奥殿には、三つの社があり、中央に崇徳天皇が祀られ、向って左に鎮守白峯大権現(日本八天狗の一狗)、同右に念持仏十一面観世音菩薩が祀られている。拝殿に文菩薩を安置する。2014年9月21日と28日に50年ぶりの開帳があり、崇徳天皇の尊影を拝することができた。
勅額門:延宝八年(1680年)建立。重要文化財の勅額は宝物館にあり、門にはレプリカが掛けられている。両脇には、源為義と源為朝の武者像が守護しているが普段は扉が閉められ見えない。なお、この門には新造された像で、元々の像は金刀比羅宮・白峰神社に明治31年移されたと云われている。※スロープあり
客殿(附:棟札1):延宝年間建立。十八世紀中期頃に大玄関を増築。
御成門(附:棟札3枚):享保九年(1724年)建立。
(附指定)勅使門、七棟門:十九世紀前期の建立。(Wikipedia)
仁王門手前にある国宝の十三重石塔(2016.5)
仁王門手前にある十三重石塔(2016.5)
白峰寺仁王門(2016.5)
御成門(2016.5)

13.84番札所屋島寺(重要文化財:本堂/梵鐘)

本堂(附:厨子) - 入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618年)建立された。
梵鐘 - 貞応2年(1223年)の銘がある。総高102cm口径64cm厚さ6cm、青銅の鋳物(Wikipediaより)
重要文化財本堂(2016.4)
重要文化財本堂(2016.4)

14.86番札所志度寺(重要文化財:本堂/仁王門)

本堂および附棟札2枚:1983年(昭和58年)6月2日指定。1670年(寛文10年)建立。毎年、7月16日と17日午前中、本尊と脇仏の開帳をし堂内を見学できる。
仁王門:1983年(昭和58年)6月2日指定。本堂と同様、1670年(寛文10年)頃の建立(Wikipediaより)
志度寺仁王門&五重塔(2016.4)
志度寺仁王門&五重塔(2016.4)
国指定重要文化財の本堂(2016.4)
国指定重要文化財の本堂(2016.4)

15.87番札所長尾寺(重要文化財:経幢)

経幢2基:石造。西側のものが弘安6年(1283年)、東側のものが弘安9年(1286年)の建立。昭和29・9・17指定(Wikipedia)
鎌倉時代の経幢(2016.5)
鎌倉時代の経幢(2016.5)
経幢説明板(2016.5)
経幢説明板(2016.5)

別格札所の3カ寺に重要文化財10点がある。その詳細は

1.別格7番札所出石寺(重要文化財:銅鐘)

銅鐘:朝鮮鐘とも呼ばれる。高麗王朝(918年 - 1392年)の時代に朝鮮半島で鋳造された。伝承では朝鮮出兵の際に藤堂高虎が持ち帰り、この寺に寄進したと言われている。総高89.0cm、口径55.7cm。大正7年(1918年)4月8日指定(Wikipedia)
金山出石寺仁王門(2015.6)
金山出石寺仁王門(2015.6)

2.別格10番札所興隆寺(重要文化財:本堂/宝篋印塔/銅鐘)

本堂:寄棟造、銅板葺き。文中4年(1375年)の建立。寄棟造であるが、大棟が著しく短いため、宝形造のように見える。明治40.5.27指定
宝篋印塔:源頼朝の供養塔と云われる。総高305cm、花崗岩製、南北朝時代作、昭和29.9.17指定
銅鐘:総高112.1cm、口径68.2cm、鋳銅製、弘安9年(1286)作、大正1.9.3指定 (Wikipedia)

3.別格15番札所箸蔵寺(重要文化財:本殿他5点)

本殿 附 御本社再建寄進帳:江戸時代末期の建立と推定されている。手前から奥へ、外陣(げじん)・内陣・奥殿の3部分からなる複合建築で、外陣と奥殿は入母屋造、これらを繋ぐ内陣は前方を切妻造、後方を両下造(りょうさげづくり)とする。外陣と奥殿の屋根にはそれぞれ千鳥破風と軒唐破風を付す。屋根はすべて銅板葺き。傾斜地に建ち、土地の高低差を利用して外陣・内陣・奥殿の床高を変え、複雑な屋根構成を見せる。
護摩殿:江戸時代末期、文久元年頃の建立。外陣・内陣・奥殿の3部分からなる構成は本殿と似るが、本殿よりは規模が一回り小さい。奥殿の屋根を入母屋造でなく宝形(ほうぎょう)造りとする点と、屋根を桟瓦葺きとする点も本殿と異なっている。
方丈 附 棟飾平瓦:江戸時代末期、安政3年(1856年)頃の建立。
薬師堂 附 厨子1棟:文久元年(1861年)頃の建立。
鐘楼堂:文久元年(1861年)頃の建立。
天神社本殿:文久元年(1861年)頃の建立。
上記6棟は全て平成16年(2004年)7月6日指定。(Wikipedia)
重要文化財の本堂(2016.4)
重要文化財の本堂(2016.4)

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遍路道にある「『国指定 史跡』は19か所」はどこに?

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ブログUP日:2018/01/19

近頃、遍路道沿いにある「国指定   史跡」に関する記事を目にする。そこで本件について調べてみると「『国指定 史跡』である国史跡」は現時点で19か所。内訳は「遍路道:14か所」&「境内:5か寺」。その概要を調べてみたが、資料は少なく割と厄介であった。データの精度にはチョット自信がない???。また、残念ながら、遍路道周辺には、多くの場合、案内看板も無い。チョット整理をしてもらいたいなーーー。
ところで『史跡』について調べてみた。Wikipediaでは・・・


Ⅰ.遍路道:『国指定 史跡』は14か所、延長距離は約24㎞だ!。

1.12番焼山寺道/一宮道(2016.10.3) 1.9㎞

「焼山寺道」「一宮道」は神山町下分の第12番焼山寺周辺の遍路道,約1.9kmの区間である。古来,阿波では「一に焼山(しょうさん(焼山寺道),二にお鶴(つる)(鶴林寺道),三に太龍(太龍寺道)と言われ,焼山寺道は阿波の遍路道の難所の筆頭にあげられる。峻険なアップダウンを繰り返す山道は「遍路転(へんろころ)がし」と呼ばれ,江戸時代の書物にも,その様子が紹介される。全線 にわたり古道の景観をとどめる山中の道であり,沿道には焼山寺や藤井寺に至る丁石,道標や遍路墓などが数多く建ち並ぶ,阿波の遍路道で最も濃密に石造物が残る道である。
左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑
左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑
あと7丁(ここから平らな遍路道)
焼山寺まであと7丁(ここから平らな遍路道)

2.18番恩山寺/19番立江寺道(2016.10.3) 0.9㎞

小松島市では初となる国史跡で指定範囲は約900mです。
遍路道の主要ルートである土佐街道から離れ、恩山寺に向う恩山寺道の一部と恩山寺から立江寺へ向かい土佐街道に再び合流するまでの間の立江寺道で、遍路道であるとともに周辺住民の生活道としても利用されている古道です。
恩山寺周辺の遍路道に関しては、承応2年(1653)澄禅による『四国遍路日記』に「大道ヨリ右ノ谷ヘ入ル事五丁斗ニシテ二王門アリ、夫ヨリ二町斗行キテ本堂二至ル・・」と記述があります。また、恩山寺道・立江寺道には平家追討のため四国に上陸した源義経一行の伝承が残る「弦張坂」、「弦巻坂」があり中世期の石造物も点在し、周辺には県指定天然物「恩山寺ビランジュ」や市指定文化財「釈迦庵の仏足石」があります。
景観・石造物・伝承と歴史・文化を現在まで伝える古道であるといえます。
仁王門から本堂への遍路道(2016.4)
恩山寺仁王門から本堂への遍路道(2016.4)
立江寺への弦巻坂(2016.2)
立江寺への弦巻坂(2016.2)

3.20番鶴林寺道(2010.8.5)1.27㎞

麓から仁王門までは、約4km。そのうち、水呑(みずのみ)大師から仁王門の1,269mは「鶴林寺道」と呼ばれ、2010年8月に遍路道で初めて国史跡に指定された。鶴林寺道には本堂までの距離が何町(1町は約110m)あるかを刻んだ石の柱「丁石」が13基あり、そのうち11基は南北朝時代(1300年代)のものとされる。
国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)
国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)
七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)
七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)

4.21番太龍寺道(2010.8.5)2.5㎞

鶴林寺から水井橋を経由し太龍寺に向う約7㎞の遍路道 。平成21 年に四国で初めてその一部が国の史跡となった遍路道。江戸時代から現代にいたるまで多くの歩きのお遍路さんが往来し 道筋には太龍寺までの距離を示す「舟形丁石」が建ち並ぶ。 山道を進む険しい道で古くから遍路道の難所と して知られている。
21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)
21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)
国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)
国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)

5.21番太龍寺かも道(2015.10.7)1.34㎞

かも道は全長4.4㎞のうち1.34㎞が指定された。四国遍路最古の遍路道と考えられており、貞治年間(1362~67年)に設けられた丁石(札所までの距離を示す道標)が多く残る。 
長期間、廃道となっていたが、市などが2010年から調査を実施。 
地元住民らにも呼び掛けて整備し復活させた。

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6.22番平等寺いわや道(2010.8.5)2.7㎞

太龍寺から「南舎心嶽」を経由し、かつて存在した「龍の窟」へと向かう遍路道で、「平等寺道」分岐地点までの約3㎞の道。江戸時代には多くのお遍路さんが歩いていた主要なルートであった。道沿いには「舟形丁石」などの歴史的な石造物が良好に残されている。2013年3月27日に2.09㎞追加
いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)
いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)
いわや新道を行くお遍路(2016.3)
いわや新道を行くお遍路(2016.3)

7.22番平等寺平等道(2013.3.27)0.66㎞

平等寺道(いわや道分岐から阿瀬比町の遍路小屋までの山道)
「いわや道」の26丁石から分岐する古道で、平等寺を結ぶ遍路道である。「いわや道」分岐地点から山道をぬけて桑野町阿瀬比集落までは約2.5㎞。「いわや道」分岐から800mはなだらかな道だが、急に下り坂となるので注意が必要。この区間に舟形39丁石が一つ残る。

8.36番清龍寺道(2016.6.17)塚地峠:1.6km

35 番札所清瀧寺から 36 番札所青龍寺に向かう道の途中の約 1.6㎞からなる峠道で、開発を免れた昔ながらの風景を保つ数少ない遍路道のひとつであり、道しるべなど貴重な石造物が数多く残されていることでも知られています。
史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)
史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)
江戸期の綺麗に整備された(2016.6)
江戸期の綺麗に整備された遍路道(2016.6)

9.42番佛木寺道(2016.6.17)龍光寺西の尾根:0.45㎞

仏木寺道は、宇和島市の41番龍光寺(三間町戸雁)から42番仏木寺(同町則)までの遍路道。今回指定されるのは龍光寺西の尾根を横断し県道31号に至る山道約450m。道沿いには江戸時代後期の遍路墓が残るなど旧状をとどめており、文化元(1804)年の遍路記「海南四州紀行」に「是(これ)ヨリ山坂アリ急ナラス路辺炎魔堂アリ」と言及されている。
仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)
仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)
墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)
墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)

10.60番横峰寺道(2016.6.17)湯浪休憩所~五丁石~頂上:2.1㎞

横峰寺道は、59番国分寺(今治市国分4丁目)から60番横峰寺(西条市小松町石鎚)に至る区間で、指定は横峰寺北西の「湯浪休憩所」付近から「五丁石」付近までの山道約1,700m(一部区間を除く)。道際には舟形や角柱形の丁石とともに「文化12(1815)年」「文政2(1819)年」と刻まれた江戸時代の遍路墓もある。
88の札所をつなぐ四国遍路道は全長約1400㎞に及び、4県の中でも愛媛は延長500㎞以上と最も長い。今回指定された仏木寺道、横峰寺道について、文化審議会は「いずれも遺存状況が良好で、伊予における遍路道の実態を考える上で重要」と評価した。
2017年10月13日、五丁石~境内:0.4㎞追加
横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)
横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)
標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)
標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)

11.65番三角寺奥之院道/別格13番札所仙龍寺(2017.6.17)3.8㎞

奥之院道は、四国88ケ所霊場第65番札所三角寺(愛媛県四国中央市金田町)から三角寺奥之院仙龍寺(愛媛県四国中央市新宮町馬立)を経て第66番札所雲辺寺)(徳島県三好市池田町)に至る道の一部である。
『四国遍路道指南』(貞享4年〔1687〕)、『四国遍路霊場記』(元禄2年〔1689〕)では三角寺には大師堂がなく、奥之院本堂が三角寺の大師堂と見做されていた。そのため、第65番札所三角寺で本尊十一面観世音菩薩に詣り、次いで弘法大師に参拝するため奥之院仙龍寺に寄ってから、次の札所第66番札所雲辺寺に向かった。今回、三角寺の境内を出たところから、4丁石までの間、約3.8kmを指定する。
別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)
別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)
昔生活道/今遍路道(2017.11)
昔生活道/今遍路道(2017.11)

12.66番雲辺寺道(2017.2.9)2.16km

66番札所雲辺寺に至る遍路道のうち,約2.16kmの区間である。急峻な山道であり,沿道に残る数多くの丁石や道標と相まって,古道の景観を色濃くとどめる。
佐野集落から山道へ(2017.6.24)
佐野集落から山道へ(2017.6.24)
遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)
遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)

13.72番曼荼羅寺道(2015.10.6)0.9㎞

71番札所弥谷寺(三豊市三野町)と72番札所曼荼羅寺(善通寺市吉原町)を結ぶ遍路道は曼荼羅寺道と呼ばれ、道中では行き先を記した丁石や石造物を見ることが出来ます。このうち、弥谷寺へ向かう石段を上った分岐のあたりから善通寺市碑殿町の蛇谷池の堤までの区間は、約0.9kmの山間部を通る未舗装の道となり、歴史的な面影が残る古道を歩くことができます。
江戸時代に記された『四国遍礼名所図会』や、明治時代に大日本帝國陸地測量部によって作成された地形図などと比較すると、現在の曼荼羅寺道の道程は近世以降ほとんど変わっていないことが判っています。現在でもお遍路さんが歩いており、昔からの巡礼の風景が垣間見えます。
茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)
茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)
史跡 遍路道
史跡 遍路道

14.82番根香寺道(2013.10.17)2.3㎞

高松市と坂出市にまたがる五色台にあ り,歴史的な面影を残し,道沿いには道標(どうひょう) ・丁石(ちょうせき)等の石造物が残っています。道標は,主に白峯寺から根香寺の遍路道と別の札所寺院へ遍路道が分岐する場所に設置されています。丁石も道標と同様に重要な構成要素で,白峯寺から根香寺間の遍路道沿いに約 109m間隔で50基設置されていたようで,現在も41基が確認できます。
史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)
史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)
80番への分岐点 19丁(2016.5)
80番への分岐点 19丁(2016.5)

Ⅱ.境内編(5か所)

①.20番鶴林寺境内(2017.2.9)

「鶴林寺境内」(勝浦町)は第20番札所鶴林寺の境内地約4.6ha。標高490m付近に位置する山林寺院で,参道である鶴林寺道(国史跡)に建つ南北朝期の丁石が歴史の古さを物語る。
鶴林寺仁王門(2016.3)
鶴林寺仁王門(2016.3)
静寂できれいに清められた参道(2017.7)
静寂できれいに清められた参道(2017.7)

②.21番太龍寺境内(2017.2.9)

「太龍寺境内」(阿南市)は第21番札所太龍寺の境内地約6ha。標高約500m付近に所在する山林寺院で,「三教指帰」に登場する,史料上確認できる数少ない,空海修行の地である。鶴林寺とともに札所寺院として四国遍路の成立や発展過程を考える上で重要であり,諸堂と周辺の山林が一体となった景観は往時の四国霊場の趣を現在に伝える。
階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)
仁王門階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)
21番札所太龍寺太子堂(2017.7)
21番札所太龍寺太子堂(2017.7)

③.稲荷神社境内及び41番龍光寺境内(2017.6.17)

四国八十八ケ所霊場第41番札所龍光寺は、愛媛県宇和島市三間町字戸雁に所在する真言宗御室派の寺院で、江戸時代までの神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。明治時代初期の神仏分離までは稲荷社が札所であった。
稲荷神社本殿等の建築様式から18世紀後半の建築とされ、隣接する旧観音堂(現廣田神社)の建物も、その建築様式から18世紀初頭とされており、江戸時代中期には稲荷社としての今日に続く景観が成立していた。なお、江戸時代前期には既に、「立光寺」という名前で神宮寺としての龍光寺が成立していた。
参道。正面は神社。札所はどこ???
参道。正面は神社。札所はどこ???
墓地から龍光寺全景(21016.12)
墓地から龍光寺全景(21016.12)

④.60番札所横峰寺境内(2017.6.17)

四国八十八ケ所霊場第60番札所横峰寺は、愛媛県西条市小松町石鎚にあり、真言宗御室派の寺院で石鎚信仰にもかかわる霊場である。その創立については、明確な史料を欠いているが、同寺に所蔵されている金銅蔵王権現御正体(みしょうたい)(愛媛県指定有形文化財(工芸品)、昭和40年4月2日指定)は鍍金銅製で、平安時代末期頃の製作と推定されており、その頃までに石鎚山を信仰の対象とする山岳信仰の霊場として成立していた可能性が高い。
明治時代の廃仏毀釈により廃寺になるが、明治末年に現在地に復興され今日に至っている。
横峰寺仁王門(2016.4)
横峰寺仁王門(2016.4)
横峰寺本堂(2016.4)
横峰寺本堂(2016.4)

⑤.75番善通寺境内(2017.6.17)

弘法大師の生誕地として信仰を集める。
南大門と五重塔(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)

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2017年 歩きお遍路さんとの出会い 

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更新日:2018/01/13

私が2016年に出合い・情報交換を行ったお遍路さんは52組。2017年に出会い・情報交換をおこなったお遍路さんは68組。
2017年の交流状況を集計した結果は、次のとおり。


◇前年に比べ外国人お遍路の大幅な増加(5組⇒11組)
地元四国の歩き遍路は昨年同様少ない(3組⇒3組)
◇前年に比べ逆打ちお遍路の大幅な減(5組⇒1組)
◇60歳以上のお遍路さんは通し打ちが多い。働き盛り中年お遍路さんのほとんどが区切り打ち。DB_1101

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「とある歩き遍路の道しるべ」へのアクセス分析

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ブログUP日:2018/01/04

「とある歩き遍路」のオープンは2016年8月17日。2017年12月31日で丸16カ月&15日(延べ502日)。アクセス数は44,005件、閲覧数は110,690項。これを分析してみてみると。


現在の一日当たりのアクセス数は約150件。閲覧数約400頁
人気のコーナは遍路宿情報&遍路道情報?
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月別状況は
秋のお遍路シーズン10月のアクセス数は約180件。
閲覧数は約500件にも達した。驚き!!!。
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別格13番札所仙龍寺 堀切峠付近の遍路道整備に参加

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ブログUP日:2017/11/29

2017年11月26日、土佐街道を歩こう会主催「土佐北街道の四国中央市金田町平山から堀切峠付近までの約1.7㎞の草刈」に参加。この区間は別格13番札所仙龍寺~別格14番札所椿堂~66番札所雲辺寺へ至る古道の一部。私は先日(11月6日)、この区間を遍路したが、峰の不動尊(堀切峠)周辺は整備不良のため道探しに苦労した。
ひょんなことから「土佐街道歩こう会代表村上さん」と知り合いに。村上さんから、この周辺の草刈&街道整備するとの情報を得た。この区間を草刈すれば遍路道整備も図れるのでは?と思い参加した。当日朝は曇り空、気温は2℃位と寒かったが「土佐街道歩こう会」の皆さん等と共に、土佐街道&遍路道の「道しるべ」を整備することができた。


このルート上にある「天保2年(1832年)石碑」は、2011年に「土佐街道歩こう会」が街道沿いを整備している時に、この石碑が埋もれているのを発見。

左は土佐街道歩こう会代表の村上さん(2017.11.26)
左は土佐街道歩こう会代表の村上さん(2017.11.26)

「土佐街道歩こう会」が「川之江ライオンズクラブ」に働きかけ、復元したもの。その後、定期的に草刈等を行っているとのこと。しかし、利用者が少ないため夏シーズンはブッシュ等に覆われる。それが理由か?どうか不明だが、過去、このルートで事故があったそうで?!?。三角寺、仙龍寺はこの道を推奨していないようだ???。堀切トンネルルートを推奨している!?!ため、このルートをお遍路する人は少ないようだ。


今回、「土佐街道歩こう会」&「川之江ライオンズクラブ」の皆さんが、きれいに整備、道しるべも設置。これで歩き遍路さんもチョット安心してお遍路できるようになったかな!?
日 時:2017年11月26日(日) 8時30分より12時
参加者:13名
□□ □土佐街道を歩こう会メンバ   9名
□□ □川之江ライオンズクラブメンバ 2名
□□ □四国中央遍路道ボランティア  1名(石川さん)
その他:刈払機 7台


四国中央市金田町平山に13名が集合。草刈は、峰の地蔵尊側(別格13番札所側)と平山側(別格14番札所側)に分かれて実施。報告は峰の地蔵尊側から

平山に集合(2017.11)
平山に集合(2017.11)

□□□□□□□□□□□□峰の地蔵尊
前回(11月6日)は虎ロープで遍路道を遮断。雑草。道しるべも無かったが。
今回、虎ロープ撤去。草刈、雑草は無い。道しるべ設置。これでお遍路さんも道に迷うことはない!!!。

堀切峠へ。道しるべが無い?。虎ロープが(2017.11.6)
堀切峠へ。道しるべが無い?。虎ロープが(2017.11.6)
峰の地蔵尊。虎ロープ撤去(2017.11.26)
峰の地蔵尊。道しるべ設置、虎ロープ撤去(2017.11.26)

索道を直進。約100m程遍路すると左に遍路道が。入口を草刈又道しるべ設置。

堀切峠への遍路道、分岐点(2017.11.6)
堀切峠への遍路道、分岐点(2017.11.6)
索道から遍路道へ。道しるべも整備(2017.11.26)
索道から遍路道へ。道しるべも整備(2017.11.26)

倒木も整備

整備は良くない。倒木も(2017.11.6)
整備は良くない。倒木も(2017.11.6)
倒木も整理(2017.11.26)
倒木も整理(2017.11.26)

土佐街道と合流。ここに江戸期/平成道しるべ(2012年設置)が。綺麗に整備。

天保2年(1832年)&2012年の石碑(2017.11.6)
天保2年(1832年)&2012年の石碑(2017.11.6)
綺麗に整備された天保/平成の道しるべ(2017.11.26)
綺麗に整備された天保/平成の道しるべ(2017.11.26)

ここの合流地点から高知方面の土佐街道が。ここより少し行くと茶屋跡が。今回は土佐街道の整備が主目的。この区間も整備されたよ!。

左:土佐街道 右:仙龍寺への遍路道(2017.11.26)
左:土佐街道 右:仙龍寺への遍路道(2017.11.26)
茶屋跡への土佐街道(2017.11.26)
茶屋跡への土佐街道(2017.11.26)
茶屋跡(2017.11.26)
茶屋跡(2017.11.26)

分岐から平山集落に向け少し下っていくと休憩所&石造。ここも綺麗に草刈

左:石碑、右:ベンチ(2017.11.6)
左:石碑、右:ベンチ(2017.11.6)
綺麗に草刈された休憩場所(2017.10.26)
綺麗に草刈された休憩場所(2017.11.26)

雑草、倒木の遍路道も綺麗に

整備は???(2017.11)
整備は???(2017.11)
遍路道(2017.11.26)
遍路道(2017.11.26)

集落近くの遍路道も綺麗に

集落近くの遍路道(2017.11.6)
集落近くの遍路道(2017.11.6)
遍路道(2017.11.26)
遍路道(2017.11.26)

集落へは左の生活道へ。江戸期の「うろこ石積み」が

遍路道は左を(2017.11.26)
遍路道は左を(2017.11.26)
江戸期のうろこ石積み(2017.11.26)
江戸期のうろこ石積み(2017.11.26)

平山の集落へ到着

平山にて(2017.1126)
平山にて(2017.1126)
平山(2017.11)
平山(2017.11)

地元の皆さんが努力して整備している古道。これで迷うことなく安心してお遍路が出来るぞ!!!。
しかし、お遍路さんが利用し無いと?!?。また、草に覆われた道に逆戻りしてしまう。
歩き遍路の皆さん。是非、利用してね!!!。


土佐北街道とは(Wikipediaより)
愛媛県四国中央市から新宮、馬立を経て笹ヶ峰峠を越え、高知県大豊町立川(たぢかわ)、本山町などを経て高知城下に至る道。797年(延暦16年)北山官道として開かれる。江戸時代中期の享保3年(1718年)以降、土佐藩主土佐山内氏が参勤交代時に使用していた街道。


追記:別格13番札所仙龍寺から堀切峠へ向かう古道の市仲分岐□□に道しるべを設置

古道への分岐(2017.11.26)
古道への分岐(2017.11.26)
設置した道しるべ(2017.11.26)
設置した道しるべ(2017.11.26)

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外国人遍路特集(日経新聞)

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ブログUP日:2017/11/21

外国人遍路さんに関する記事が。2017年7月27日、日経新聞四国版で「目立つ外国人」の記事が

前山へんろ交流サロン情報(2017.7)
前山へんろ交流サロン情報(2017.7)

今回、また日経新聞(2017年11月19日)全国版“SCRAMBLE CAFE”コーナで「外国人遍路に関する記事」が

日経新聞(2017/11/19)
日経新聞(2017/11/19)

先般のブログにも記したが、18番札所恩山寺近くのMYハウス脇を多くの外国人がお遍路しており、私も外人お遍路さんの多さは実感している。

作日(2017/11/20)、11番札所近くで3人の歩き遍路と出会う。一人はイギリス人で1か月の予定で歩きで行けるところまで。

私が外国人お遍路さんにできることは何かな?。チョット考え込んでしまう。何もできない!?。挨拶を交わすことぐらいかな?

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参考になる??遍路情報サイト

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ブログUP日:2017/11/17

歩き遍路さんに助けとなる「遍路情報な関するサイト」はどこ?と聞かれたら。私が参考にさせてもらった並びにお気に入りのサイトはたくさんあります。


遍路する方に必要な情報あれこれ

NO1: 四国八十八ケ所霊場会公式ホームページ
  □(札所情報、遍路心得等、お遍路に必要な情報が)

NO2: 四国別格二十霊場公式ホームページ
  □(別格札所情報が)

NO3:    お遍路情報
□  (歩き遍路に関する情報が満載。これからお遍路を準備す□  □る方が参考になるサイト!?!)

NO4: 掬い水へんろ館 
□  (20年程前(1996年)にオープンしたサイトで情報は古いが
    その内容は充実しており、今でも参考になるサイト?)


歩き遍路さん等が作成したサイト。へんろ道情報、宿情報、美味いもの店情報など 具体的な情報が満載!。参考になるよ!!。

NO5: 歩き遍路情報  (宿情報・Map・美味いもの等) 

NO6: 三十路女性による四国遍路の旅 (持物・宿情報等)

NO7: 遍路は私の故郷か? (紀行文・宿情報等)

NO8: 四国遍路 (B級グルメ・宿情報等)

これからお遍路を計画している皆さんへ。上記以外にも素晴らしいサイトはあります。自分のお遍路スタイルに合うサイトを検索・事前調査し、楽しいお遍路プランを立案してください。

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仏教宗派について(宗派の起源&宗派一覧等)

ブログUP日:2017/10/29

友人から、数年前の月刊雑誌KKベストセラーズ社出版「一個人 2012年9月号』を紹介された。その雑誌は「仏教宗派入門」を特集していた。

「一個人 2012年9月号」(2017.10)
「一個人 2012年9月号」(2017.10)

【仏教の伝来】

釈迦の教えは、インドを出て中国へと伝わり、朝鮮半島を経て6世紀に日本へ伝来。

仏教の流れ(2017.10)
仏教の流れ(2017.10)

【日本仏教は13宗派】

伝来から1500年という長い年月を経て、日本仏教は13宗派に

日本仏教13宗派の流れ(2017.10)
日本仏教13宗派の流れ(2017.10)

宗派の特徴/寺院数/信教徒は次表のとおり。
信教徒総数:31,641(この数は所帯数?)。寺院数:58.6寺。 宗派別の信教徒&寺院数は
’’’一番目は「浄土真宗」信教徒:1247万4041 18,829寺。
’’’二番目は「浄土宗」 信徒数:’’’602万1900 ’’’6,881寺。
’’’三番目は「真言宗」 信徒数:’’’395万3300 ’’’3,559寺。
仏教徒の2/3は「浄土真宗」&「浄土宗」。四国は真言宗が多い。私の周りは殆どが真言宗。3番目とは意外であった???。

仏教13宗派一覧(2017.10)
仏教13宗派一覧(2017.10)

【真言宗の宗派とその歴史】

空海直径の古義真言宗は「7派」に。古義真言宗から「4派」に分派。新義真言宗(1140年)、真言律宗(1236年)更に真言宗智山派(1585年)と真言宗豊山派(1585年)に。

真言宗の流れ(2017.10)
真言宗の流れ(2017.10)

古義真言宗は高野山真言宗(806年)、真言宗善通寺派(807年)、東寺真言宗(823年)、真言宗醍醐寺派(874年)、真言宗御室派(901年)、真言宗山階派(901年)&真言泉涌寺(1218年)の「7派」に

古義真言宗の流れ(2017.10)
古義真言宗の流れ(2017.10)

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「Shikoku Japan 88 Route Guide」に勝る遍路地図はない!!!

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ブログUP日:2017/10/17

今は秋の遍路シーズン。18番札所恩山寺手前にある「Myメダカハウス」近くで多くの外国人お遍路さんを見かける。本当に多い。先日は7人のあるき遍路を見かけるが、外国人が3人!!!。

その外国人が持参している遍路地図「Shikoku Japan 88 Route Guide」は目から鱗だ!!!。本当に素晴らしい!!!。これに勝る遍路地図はない!!!。

この地図は、松下直行さんが「四国遍路ひとり歩き同行二人」をベースに編集。デイビッド モートンさんが監修・翻訳。

この地図は、日本語版の地図に英語で宿泊施設等を上刷り。英語が分からなくても大丈夫!!!。

英語版遍路地図(2017年版)
英語版遍路地図(2017年版)
英語版38番札所周辺(2017.10)
英語版38番札所周辺(2017.10)

「Shikoku Japan 88 Route Guide」は「歩き遍路に必要な情報は全て濃縮」されていると思う!!!。そのポイントは

1.英語版は縮尺/方位がルール化され見やすい。日本語版は縮尺/方位が区々で見にくい。

英語版38番札所周辺(2017.10)
英語版38番札所周辺(2017.10)
日本語版 38番札所周辺(2017.10)
日本語版 38番札所周辺(2017.10)

2.B6版でコンパクト。持ち運びに便利

英語版:2017.6出版。日本語版:2016.4出版(2017.10)
英語版:2017.6出版。日本語版:2016.4出版(2017.10)

3.日本語版に記載されて無い「古道」等が記載されている。

事例1:01番-02番札所『真念しるべ石」のある古道。日本語版は記載されていない。

01番札所周辺(左:英語版 右:日本語版)2017.10
01番札所周辺(左:英語版 右:日本語版)2017.10
02番札所への古道(2017.10)
02番札所への古道(2017.10)

事例2:源平合戦(元暦2年=1185)のおり、源義経が屋島に向かう途中辿った17番-18番札所「あずり越え道/日本一低い山」を記載。日本版には記載されていない。

徳島市周辺(左:英語版 右:日本語版)2017.10
徳島市周辺(左:英語版 右:日本語版)2017.10
源平合戦 源氏が屋島に向け辿った「あずり越えルート」(2017.10)
源平合戦 源氏が屋島に向け辿った「あずり越えルート」(2017.10)

事例3:21番-22番札所遍路道の「いわや道」は、2013年に国史跡に指定される。英語版には記載。2016年出版の日本語版には記載されていない。

21番周辺「国史跡 いわや道」(2017.10)
21番周辺「国史跡 いわや道」(2017.10)
22番札所への古道(2017.10)
22番札所への古道(2017.10)

事例4:45番-46番札所札所周辺 千本峠古道。1970年代?に設けられた峠御堂トンネル開通後は殆ど使用されていないが、英語版にはきちんと古道として記載。日本語版は未掲載。

44番周辺「千本峠」周辺(2017.10)
44番周辺「千本峠」周辺(2017.10)
峠御堂トンネル開通以前のメイン道路の千本峠(2017.10)
峠御堂トンネル開通以前のメイン道路の千本峠(2017.10)

事例5:別格13番札所から別格14番札所への古道を記載。日本語版は何故かトンネル道。私はこの地図を見るまで、このルートは知らず、トンネル遍路道を辿る。

別格13番札所周辺(2017.10)
別格13番札所周辺(2017.10)
別格13番周辺遍路道(2017.10)
別格13番周辺遍路道(2017.10)

事例6:76番札所へは『真念しるべ石』等のある古道も。日本語版は未掲載。

75番札所周辺(2017.10)
75番札所周辺(2017.10)
「真念しるべ石等」&「美味いもん処」も記載。Goo!(2017.10)
「真念しるべ石等」&「美味いもん処」も記載。Goo!(2017.10)

事例7.別格20番札所への遍路道。尾根道記載&廃道は削除。日本語版は尾根道無し。廃道であるルートを記載 等々

別格20番への遍路道(2017.10)
別格20番への遍路道(2017.10)
別格20番札所への尾根道(2017.10)
別格20番札所への尾根道(2017.10)

4.「真念しるべ石」等の古い石碑/「美味いもん処」も記載

「しるべ石」&「うまいもん処」も記載(2017.10)
「しるべ石」&「うまいもん処」も記載(2017.10)
「真念しるべ石等」&「美味いもん処」も記載。Goo!(2017.10)
「真念しるべ石等」&「美味いもん処」も記載。Goo!(2017.10)

5.「Shikoku Japan 88 Route Guide」は税込1,720円
 日本語版の「四国遍路ひとり歩き同行二人」は税込2,700円。安価!!!


英語版遍路地図は何処で購入できるの???。松下さんに問い合わせました。販売場所は次のとおりです。参考にしてネ!!!。
徳島駅地下
01番札所霊山寺
01番札所前門前一番街
10番札所切幡寺下のスモトリ屋
21番札所大龍寺ロープウェイ駅
松山の泉ゲストハウス
高松駅前旅館案内所
Amazon. Jp です。


追記1:なぜ安価?。松下さんとメールで・・・。その理由は
「Route Guide 作成に当たり『宮崎様には大師信仰が世界に広まるからと無償で日本語版をまる写しさせていただきました』。私は宮崎様の御を忘れません。そのあと自分で歩いたり文献を調べてオリジナリティーを出しました。たまたま私が地図制作の専門家だから。
売価については、はるばる日本まで来られる外国人の方に敬意を表して制作費を転嫁せず、印刷費用だけなのです。制作費は私の趣味の範囲の土日ワークなので特に転嫁しなくてもやっていけるからです。」とのことでした。

追記2:私は「四国遍路ひとり歩き同行二人」 9版(2010年)&11版(2016年)を購入している。

左:2010.3出版。右:2016.4出版(2017.10)
左:2010.3出版。右:2016.4出版(2017.10)

2010年/2016年版の内容を比較して
遍路道はほぼ同じ。管理不備?。なぜ?。宮崎さんが亡くなられたため???。
・21番-22番札所に至る遍路道。2013年に『いわや道』国史跡に指定されているが、見直されていない。
・別格20番札所夏子ルートの直道は、相当前から廃道となっている???が、いまだに修正されていない???。

遍路宿情報はわりと見直されているようだが、数年前に廃業となった人気遍路宿?が・・・・・・

遍路宿情報(2010/2016)
遍路宿情報(2010/2016)

私は、今後もお遍路を続けるが「英語版」を携帯し、お遍路するだろうな!!!。

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