ボーイスカウトが鳥坂峠古道(43番-44番大寶寺)道しるべ整備

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更新日:2018/01/28

へんろ宿ときわ旅館店主藤江さんからの情報
2018年1月21日(日)、ボーイスカウト大洲第一団カブ隊6名(小学3-5年)と関係者4名の合計10名(含む藤江さん親子2名)が「43-44番大寶寺間にある鳥坂峠古道(肱川源流の里~鳥坂峠~札掛大師堂松下庵間約5.5㎞)」にへんろ道案内板6枚を設置した。
また、2016年7月には別格7番札所出石寺遍路道に遍路道案内板を設置したとのこと。


ときわ旅館に集合、現地へ

ときわ旅館い集合(2018.1.21)
ときわ旅館に集合(2018.1.21)

現地に向かい案内板設置作業

作業起点(2018.1.21)
作業起点の肱川源流の里付近(2018.1.21)
作業状況(2018.1.21)
作業状況(2018.1.21)
設置後の記念写真(2018.1.21)
設置後の記念写真(2018.1.21)

案内板を設置したへんろ道には

山道を少し行くと番所跡へ(2016.12)
山道を少し行くと番所跡へ(2016.12)
鳥坂峠石像(201.12)
鳥坂峠石像(2016.12)

「ボーイスカウト大洲第一団カブ隊」が整備した区間は、「鳥坂峠古道」&「国道56号線鳥坂トンネル』の2つの遍路道がある。この起点「肱川源流の里」に紛らわしい道しるべがある。「峠道:5.5㎞-約60分」「56号トンネル道:2.1㎞-約25分」とある。この「道しるべ」を見て、危険でもトンネル道を選択するお遍路さんも多いのでは?。
この道しるべ:峠道は「札掛大師堂松下庵までの距離」。トンネル道は「トンネル出口先のバス停までの距離」。目的地が異なるのだ!!。
「肱川源流の里」から「札掛大師堂松下庵合流点」までの距離は
「56号鳥坂トンネル道は5.0㎞」
「鳥坂峠古道は5.6㎞」

「既存道しるべ」表示区間を追記(2018.1.21)
「既存道しるべ」表示区間を追記(2018.1.21)

古道はトンネル道より「距離は少し長いが安全で素敵なへんろ道だよ」。お遍路の皆さん、是非、この古道鳥坂峠を利用してね。トンネル道は「とある歩き遍路のHPで『四国遍路道で一番危険な区間』で紹介している。」参考にしてね。
なお、この道しるべの区間表示追記も「ボーイスカウト大洲第一団カブ隊」により行われた。これにより一人でも多くの歩き遍路さんが「この素晴らしい鳥坂峠古道」を遍路してくれることを望んでいます。

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四国霊場にある「『国指定 有形文化財』はここに!」

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ブログUP日:2018/01/22

四国霊場にある「国が指定した有形文化財 『重要文化財』」は何処に。仏像等の重要文化財は日常拝観することは出来ないので、このコーナでは拝観できる建造物中心に取り上げる。

重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。

国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。


四国霊場にある「国宝」は3か寺
・51番札所石手寺二王門
・52番札所太山寺本堂
・70番札所本山寺本堂
「重要文化財」は15か寺に34点
・徳島(1か寺):10番切幡寺
・高知(2か寺):29番国分寺,31番竹林寺
・愛媛(4か寺):45番岩屋寺,49番浄土寺,51番石手寺,52番太山寺
・香川(8か寺):68番観音寺,70番本山寺,75番善通寺,80番国分寺
□□□□□□:81番白峯寺,84番屋島寺,86番志度寺,87番長尾寺


1.10番札所切幡寺(重要文化財大塔

 大塔:建立1618年。大阪住吉大社神宮寺の西塔を明治初年に移築したものである。初重方五間、二重方三間の二重塔で、平面及び形態ともに特異な遺構で、全国唯一のものである。このような塔は天台宗関係に存在したことが推定されるので、日本における塔の意義と歴史を考える上に重要な資料を提供するものである。
切幡寺重文二重塔(2016.2)
切幡寺重文二重塔(2016.2)

2.29番札所国分寺(需要文化財:本堂/梵鐘)

本堂:杮茸、寄棟造。永禄元年(1558年)長曾我部国親・元親親子の建立。明治37年8月29日指定
梵鐘:平安時代前期の作、口径47cm、高さ63.8cm、重量225kg、昭和31年6月28日指定 (Wikipedia)
萱葺きの本堂(2016.6)
萱葺きの本堂(2016.6)

3.31番札所竹林寺(重要文化財:本堂&書院)
本堂:入母屋造、杮(こけら)葺き。桁行・梁間とも5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。扉に桟唐戸を用い、垂木を扇垂木とし、組物は二手先の詰組とするなど、細部には禅宗様建築の意匠が用いられている。内部は中央の方三間を内陣、その前方を内陣、両脇を脇陣、後方を後陣とする。内陣には本尊文殊菩薩像を安置する厨子を置き、内外陣の境には蔀(しとみ)を入れる。建立年代は、同じ高知県内の土佐国分寺金堂との比較から、室町時代と推定されている。
書院:江戸時代後期・文化13年(1816年)建立、玄関は切妻造り、車寄せは唐破風造り、主屋は入母屋造り。藩主参詣の際の接待殿として造営。2017年指定 (Wikipedia)
本堂(2016.6)
竹林寺本堂(2016.6)

4.45番札所岩屋寺(需要文化財:大師堂)

大師堂:大正9年(1920年)の建立。設計は愛媛県出身で大蔵省営繕管財局技手などを務めた河口庄一、大工は窪田文治郎らである。宝形造、銅板葺き。正面の向拝の柱は左右とも双子柱とし、母屋の四隅は3本組の柱とする。これは伝統的仏堂建築にはみられないものである。向拝柱は上部を細くしたエンタシスとし、柱上部にはバラの花と房飾りを彫り出し、柱下部にはフルーティング(溝彫り)を施すなど、随所に西洋建築のディテールを取り入れている。伝統的仏堂建築に新様式を取り入れた、近代仏堂の代表作として、2007年に国の重要文化財に指定された。(Wikipedia)
太子堂(2016.4)
岩屋寺太子堂(2016.4)

5.49番札所浄土寺(重要文化財:本堂)

本堂(附:厨子):文明16年(1484年)建立、昭和28.3.31指定
(Wikipedia)
浄土寺本堂(2016.5)
浄土寺本堂(2016.5)

6.51番札所石手寺(国宝:二王門。重要文化財:本堂他6点)

国宝二王門 :三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き。『伊予古蹟志』に文保2年(1318年)の建立とある。様式的にもその頃の建立とみられ、鎌倉期建築の特徴がよく現れている。上層の回縁の出が大きく、入母屋屋根の反りが高い。組物は上層・下層ともに三手先(みてさき)とし、中備(なかぞなえ)は正面は三間とも本蟇股(ほんかえるまた)、側面は間斗束(けんとづか)とする。

重要文化財
本堂:本瓦葺き、正面側面とも五間、単層入母屋造りの仏堂。鎌倉末期。
鐘楼(袴腰造):元弘3年(1333年)の建立(柱墨書による)
三重塔:鎌倉時代末期
護摩堂:室町時代初期
訶梨帝母天堂:鎌倉時代末期
五輪塔:鎌倉時代末期 1995年に石手寺門前から境内裏手へ移建
銅鐘:総高104.6cm口径59.8cm、鋳銅製、建長3年(1251年)6月の銘
(Wikipedia)
国宝の仁王門(2016.5)
国宝の仁王門(2016.5)
重要文化財本堂(2016.5)
重要文化財本堂(2016.5)

7.52番札所太山寺(国宝:本堂。重要文化財:二王門)

国宝本堂:鎌倉時代。本堂内から発見された墨書により嘉元3年(1305年)の建立と判明する。桁行7間 (16.38m)、梁間9間 (20.91m)。屋根は入母屋造本瓦葺きで木造建築としては県下最大である。柱はすべて円柱で、正面の柱間をすべて蔀(しとみ)とするなど、建築様式は和様を基調とするが、虹梁(こうりょう)の形状など細部に大仏様(天竺様)を取り入れている。堂内手前の参詣者が立ち入る部分は板敷きとする。その奥は柱間5間×5間分の床を一段高く造り、手前を畳敷きの外陣(げじん)、奥を土間の内陣とする。内陣には横長の宮殿 (厨子)を置き、7躯の十一面観音立像(秘仏)を安置する。宮殿のある内陣を土間とするのは延暦寺根本中堂など天台宗系仏堂にみられる手法である。明治37年(1904年)8月29日重要文化財(旧国宝)に、昭和29年(1954年)6月28日国宝に指定された。宮殿の7躯の十一面観音立像と最奥に祀られている十一面観音立像(舟形光背を有する)は、平成26年(2014年)10月18日から26日まで、50年ぶりに、宮殿の背後に祀られている五智如来や多くの仏像と共に公開された。

重要文化財二王門:入母屋造本瓦葺き八脚門。鎌倉時代。明治37年(1904年)8月29日指定 (Wikipedia)
嘉元3年(1305年)建立。国宝の本堂(2016.5)
嘉元3年(1305年)建立。国宝の本堂(2016.5)
太山寺 重要文化財の二王門(2016.4)
太山寺 重要文化財の二王門(2016.4)

8.69番札所観音寺(重要文化財:本堂)

本堂(附:厨子、棟札): 寄棟造、本瓦葺き。室町時代建立の前身堂の部材を用いて延宝5年(1677年)に建立されたもの。重要文化財指定名称は「観音寺金堂」。昭和34・6・27指定(Wikipedia)

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9.70番札所本山寺(国宝:本堂 重要文化財:二王門)

国宝本堂(附 厨子3基、棟木の部分1枚):正安2年(1300年)に京極氏と佐々木氏の寄進によって再建された。棟木と礎石に残された墨書から、正安2年の建立が裏づけられる。桁行(正面)五間、梁間(側面)五間の寄棟造、本瓦葺(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す用語)。円柱を用い、建築様式は純和様に近いが、側面と背面に桟唐戸(さんからど)を用い、外陣に渡した虹梁上に大瓶束(たいへいづか)を用いる点など、細部には禅宗様を取り入れている。平面構成は手前の梁間二間分を外陣とし、奥は中央の桁行三間・梁間二間を内陣、その周囲を脇陣ならびに後陣とする。正面の五間の柱間装置はいずれも蔀戸(しとみど)である。外陣は中央よりに2本の大虹梁(だいこうりょう)を渡し、その上に大瓶束を立て、入側柱2本を省略している。内陣は大型厨子内にさらに3基の厨子を置き、中央に本尊馬頭観音、左右に薬師如来と阿弥陀如来を安置する(いずれも絶対秘仏)。1955年に修復工事を実施。昭和30年6月22日指定。

重要文化財二王門:室町時代中期建立の三間一戸八脚門。切妻造、本瓦葺。主柱、前後の控柱ともに円柱とする。建築様式は和様を基調とするが、柱の下部に礎盤を設ける点など細部に禅宗様を取り入れている。明治37年8月29日指定。(Wikipedia)
本山寺 国宝:本堂(2016.4)
本山寺 国宝:本堂(2016.4)
重要文化財 仁王門(2016.4)
重要文化財 仁王門(2016.4)

10.75番札所善通寺(重要文化財:本堂/五重塔)

金堂(本堂):元禄12年(1699年)上棟。入母屋造、本瓦葺き。外観は二層に見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、方三間の身舎(もや)の周囲に一間の裳階をめぐらす(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。粽(ちまき)付の円柱を用い、貫を多用し、組物を詰組とし、桟唐戸、花頭窓、波連子の欄間、海老虹梁を用いるなど、禅宗様の構造や意匠を多用するが、天井を鏡天井でなく小組格天井とするのは和風の要素である。柱には粽を設けるが礎盤は省略している。垂木は身舎を禅宗様の扇垂木、裳階は平行垂木とする。内部は敷瓦を四半敷きとし、仏師・北川運長により造られたと云われる本尊薬師如来坐像(寄木造り、漆箔、像高約3mの丈六仏、江戸中期作)を安置する。
五重塔:1884年再建。高さ43m(礎石上〜相輪頂上)、総欅造、三間五重塔婆、本瓦葺。江戸時代末期の安政年(1854年)に着工し、3代の棟梁が携わって、明治35年(1902年)に竣工した。二重〜五重の内部にも床板を張り、人が登れる構造になっている。
(Wikipedia)
重要文化財 本堂(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)

11.80番札所国分寺(重要文化財:本堂)

本堂:5間四方の入母屋造で、重要文化財に指定されている。奈良時代の講堂跡に立ち、その礎石を再利用している。鎌倉時代後期の建立。明治37年8月29日指定(Wikipedia)
国分寺本堂(2016.5)
国分寺本堂(2016.5)

12.81番札所白峯寺(重要文化財 本堂他9点)

石造十三重塔 - 2基:源頼朝が崇徳天皇の菩提のために建立したと伝えられ、東塔(画像の奥)は総高5.95mの花崗岩製で弘安元年(1278年)建立、西塔(画像の手前)は総高5.62m角レキ凝灰岩製で元亨四年(1324年)建立、昭和29・9・17指定

建造物 9棟:平成29・7・31指定
本堂(附:厨子):慶長四年(1599年) 再建。毎年7月10日、本尊千手観音が開帳される(時間は午前10時からの法要の時間だけ)。脇侍は愛染明王と馬頭観音であるがいずれも秘仏。
大師堂(附:厨子、棟札1枚):文化八年 (1811) 再建。中央に弘法大師、左に稚児大師、右に青面金剛を安置するがすべて秘仏
阿弥陀堂:万治四年(1661年)建立。中央に阿弥陀如来、脇侍に勢至菩薩、観音菩薩を安置。また背後に千体の阿弥陀仏を安置。
行者堂(附:棟札1枚):安永八年(1779年)再建。中央に役行者、周りに十王、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩を安置する。
薬師堂:十九世紀前期建立。中央に薬師如来、脇侍に日光菩薩と月光菩薩、手前に眷属の十二神将、向かって左側に金剛界大日如来、向かって右側に胎蔵界大日如来を安置するがすべて秘仏。
頓證寺殿(崇徳上皇殿、本地堂、白峯権現堂、拝殿)(附:棟札7枚):延宝八年(1680年)建立。崇徳天皇の廟所である頓証寺殿の奥殿には、三つの社があり、中央に崇徳天皇が祀られ、向って左に鎮守白峯大権現(日本八天狗の一狗)、同右に念持仏十一面観世音菩薩が祀られている。拝殿に文菩薩を安置する。2014年9月21日と28日に50年ぶりの開帳があり、崇徳天皇の尊影を拝することができた。
勅額門:延宝八年(1680年)建立。重要文化財の勅額は宝物館にあり、門にはレプリカが掛けられている。両脇には、源為義と源為朝の武者像が守護しているが普段は扉が閉められ見えない。なお、この門には新造された像で、元々の像は金刀比羅宮・白峰神社に明治31年移されたと云われている。※スロープあり
客殿(附:棟札1):延宝年間建立。十八世紀中期頃に大玄関を増築。
御成門(附:棟札3枚):享保九年(1724年)建立。
(附指定)勅使門、七棟門:十九世紀前期の建立。(Wikipedia)
仁王門手前にある国宝の十三重石塔(2016.5)
仁王門手前にある十三重石塔(2016.5)
白峰寺仁王門(2016.5)
御成門(2016.5)

13.84番札所屋島寺(重要文化財:本堂/梵鐘)

本堂(附:厨子) - 入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618年)建立された。
梵鐘 - 貞応2年(1223年)の銘がある。総高102cm口径64cm厚さ6cm、青銅の鋳物(Wikipediaより)
重要文化財本堂(2016.4)
重要文化財本堂(2016.4)

14.86番札所志度寺(重要文化財:本堂/仁王門)

本堂および附棟札2枚:1983年(昭和58年)6月2日指定。1670年(寛文10年)建立。毎年、7月16日と17日午前中、本尊と脇仏の開帳をし堂内を見学できる。
仁王門:1983年(昭和58年)6月2日指定。本堂と同様、1670年(寛文10年)頃の建立(Wikipediaより)
志度寺仁王門&五重塔(2016.4)
志度寺仁王門&五重塔(2016.4)
国指定重要文化財の本堂(2016.4)
国指定重要文化財の本堂(2016.4)

15.87番札所長尾寺(重要文化財:経幢)

経幢2基:石造。西側のものが弘安6年(1283年)、東側のものが弘安9年(1286年)の建立。昭和29・9・17指定(Wikipedia)
鎌倉時代の経幢(2016.5)
鎌倉時代の経幢(2016.5)
経幢説明板(2016.5)
経幢説明板(2016.5)

別格札所の3カ寺に重要文化財10点がある。その詳細は

1.別格7番札所出石寺(重要文化財:銅鐘)

銅鐘:朝鮮鐘とも呼ばれる。高麗王朝(918年 - 1392年)の時代に朝鮮半島で鋳造された。伝承では朝鮮出兵の際に藤堂高虎が持ち帰り、この寺に寄進したと言われている。総高89.0cm、口径55.7cm。大正7年(1918年)4月8日指定(Wikipedia)
金山出石寺仁王門(2015.6)
金山出石寺仁王門(2015.6)

2.別格10番札所興隆寺(重要文化財:本堂/宝篋印塔/銅鐘)

本堂:寄棟造、銅板葺き。文中4年(1375年)の建立。寄棟造であるが、大棟が著しく短いため、宝形造のように見える。明治40.5.27指定
宝篋印塔:源頼朝の供養塔と云われる。総高305cm、花崗岩製、南北朝時代作、昭和29.9.17指定
銅鐘:総高112.1cm、口径68.2cm、鋳銅製、弘安9年(1286)作、大正1.9.3指定 (Wikipedia)

3.別格15番札所箸蔵寺(重要文化財:本殿他5点)

本殿 附 御本社再建寄進帳:江戸時代末期の建立と推定されている。手前から奥へ、外陣(げじん)・内陣・奥殿の3部分からなる複合建築で、外陣と奥殿は入母屋造、これらを繋ぐ内陣は前方を切妻造、後方を両下造(りょうさげづくり)とする。外陣と奥殿の屋根にはそれぞれ千鳥破風と軒唐破風を付す。屋根はすべて銅板葺き。傾斜地に建ち、土地の高低差を利用して外陣・内陣・奥殿の床高を変え、複雑な屋根構成を見せる。
護摩殿:江戸時代末期、文久元年頃の建立。外陣・内陣・奥殿の3部分からなる構成は本殿と似るが、本殿よりは規模が一回り小さい。奥殿の屋根を入母屋造でなく宝形(ほうぎょう)造りとする点と、屋根を桟瓦葺きとする点も本殿と異なっている。
方丈 附 棟飾平瓦:江戸時代末期、安政3年(1856年)頃の建立。
薬師堂 附 厨子1棟:文久元年(1861年)頃の建立。
鐘楼堂:文久元年(1861年)頃の建立。
天神社本殿:文久元年(1861年)頃の建立。
上記6棟は全て平成16年(2004年)7月6日指定。(Wikipedia)
重要文化財の本堂(2016.4)
重要文化財の本堂(2016.4)

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遍路道にある「『国指定 史跡』は19か所」はどこに?

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ブログUP日:2018/01/19

近頃、遍路道沿いにある「国指定   史跡」に関する記事を目にする。そこで本件について調べてみると「『国指定 史跡』である国史跡」は現時点で19か所。内訳は「遍路道:14か所」&「境内:5か寺」。その概要を調べてみたが、資料は少なく割と厄介であった。データの精度にはチョット自信がない???。また、残念ながら、遍路道周辺には、多くの場合、案内看板も無い。チョット整理をしてもらいたいなーーー。
ところで『史跡』について調べてみた。Wikipediaでは・・・


Ⅰ.遍路道:『国指定 史跡』は14か所、延長距離は約24㎞だ!。

1.12番焼山寺道/一宮道(2016.10.3) 1.9㎞

「焼山寺道」「一宮道」は神山町下分の第12番焼山寺周辺の遍路道,約1.9kmの区間である。古来,阿波では「一に焼山(しょうさん(焼山寺道),二にお鶴(つる)(鶴林寺道),三に太龍(太龍寺道)と言われ,焼山寺道は阿波の遍路道の難所の筆頭にあげられる。峻険なアップダウンを繰り返す山道は「遍路転(へんろころ)がし」と呼ばれ,江戸時代の書物にも,その様子が紹介される。全線 にわたり古道の景観をとどめる山中の道であり,沿道には焼山寺や藤井寺に至る丁石,道標や遍路墓などが数多く建ち並ぶ,阿波の遍路道で最も濃密に石造物が残る道である。
左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑
左右内からの登り 文政3年(1821年)の石碑
あと7丁(ここから平らな遍路道)
焼山寺まであと7丁(ここから平らな遍路道)

2.18番恩山寺/19番立江寺道(2016.10.3) 0.9㎞

小松島市では初となる国史跡で指定範囲は約900mです。
遍路道の主要ルートである土佐街道から離れ、恩山寺に向う恩山寺道の一部と恩山寺から立江寺へ向かい土佐街道に再び合流するまでの間の立江寺道で、遍路道であるとともに周辺住民の生活道としても利用されている古道です。
恩山寺周辺の遍路道に関しては、承応2年(1653)澄禅による『四国遍路日記』に「大道ヨリ右ノ谷ヘ入ル事五丁斗ニシテ二王門アリ、夫ヨリ二町斗行キテ本堂二至ル・・」と記述があります。また、恩山寺道・立江寺道には平家追討のため四国に上陸した源義経一行の伝承が残る「弦張坂」、「弦巻坂」があり中世期の石造物も点在し、周辺には県指定天然物「恩山寺ビランジュ」や市指定文化財「釈迦庵の仏足石」があります。
景観・石造物・伝承と歴史・文化を現在まで伝える古道であるといえます。
仁王門から本堂への遍路道(2016.4)
恩山寺仁王門から本堂への遍路道(2016.4)
立江寺への弦巻坂(2016.2)
立江寺への弦巻坂(2016.2)

3.20番鶴林寺道(2010.8.5)1.27㎞

麓から仁王門までは、約4km。そのうち、水呑(みずのみ)大師から仁王門の1,269mは「鶴林寺道」と呼ばれ、2010年8月に遍路道で初めて国史跡に指定された。鶴林寺道には本堂までの距離が何町(1町は約110m)あるかを刻んだ石の柱「丁石」が13基あり、そのうち11基は南北朝時代(1300年代)のものとされる。
国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)
国史跡「太龍寺道」起点(2017.7)
七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)
七丁石付近の遍路道はGoo(2017.7)

4.21番太龍寺道(2010.8.5)2.5㎞

鶴林寺から水井橋を経由し太龍寺に向う約7㎞の遍路道 。平成21 年に四国で初めてその一部が国の史跡となった遍路道。江戸時代から現代にいたるまで多くの歩きのお遍路さんが往来し 道筋には太龍寺までの距離を示す「舟形丁石」が建ち並ぶ。 山道を進む険しい道で古くから遍路道の難所と して知られている。
21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)
21番太龍寺への下りの遍路道(2016.2)
国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)
国史跡太龍寺登り遍路道(2016.3)

5.21番太龍寺かも道(2015.10.7)1.34㎞

かも道は全長4.4㎞のうち1.34㎞が指定された。四国遍路最古の遍路道と考えられており、貞治年間(1362~67年)に設けられた丁石(札所までの距離を示す道標)が多く残る。 
長期間、廃道となっていたが、市などが2010年から調査を実施。 
地元住民らにも呼び掛けて整備し復活させた。

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6.22番平等寺いわや道(2010.8.5)2.7㎞

太龍寺から「南舎心嶽」を経由し、かつて存在した「龍の窟」へと向かう遍路道で、「平等寺道」分岐地点までの約3㎞の道。江戸時代には多くのお遍路さんが歩いていた主要なルートであった。道沿いには「舟形丁石」などの歴史的な石造物が良好に残されている。2013年3月27日に2.09㎞追加
いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)
いわや道:江戸時代の丁石が(2016.3)
いわや新道を行くお遍路(2016.3)
いわや新道を行くお遍路(2016.3)

7.22番平等寺平等道(2013.3.27)0.66㎞

平等寺道(いわや道分岐から阿瀬比町の遍路小屋までの山道)
「いわや道」の26丁石から分岐する古道で、平等寺を結ぶ遍路道である。「いわや道」分岐地点から山道をぬけて桑野町阿瀬比集落までは約2.5㎞。「いわや道」分岐から800mはなだらかな道だが、急に下り坂となるので注意が必要。この区間に舟形39丁石が一つ残る。

8.36番清龍寺道(2016.6.17)塚地峠:1.6km

35 番札所清瀧寺から 36 番札所青龍寺に向かう道の途中の約 1.6㎞からなる峠道で、開発を免れた昔ながらの風景を保つ数少ない遍路道のひとつであり、道しるべなど貴重な石造物が数多く残されていることでも知られています。
史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)
史跡起点:案内板と19世紀前半の石碑(2016.6)
江戸期の綺麗に整備された(2016.6)
江戸期の綺麗に整備された遍路道(2016.6)

9.42番佛木寺道(2016.6.17)龍光寺西の尾根:0.45㎞

仏木寺道は、宇和島市の41番龍光寺(三間町戸雁)から42番仏木寺(同町則)までの遍路道。今回指定されるのは龍光寺西の尾根を横断し県道31号に至る山道約450m。道沿いには江戸時代後期の遍路墓が残るなど旧状をとどめており、文化元(1804)年の遍路記「海南四州紀行」に「是(これ)ヨリ山坂アリ急ナラス路辺炎魔堂アリ」と言及されている。
仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)
仏木寺へは、墓地の遍路道を経て山道へ(2106.12)
墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)
墓地の遍路道から山道の遍路道へ(2016.12)

10.60番横峰寺道(2016.6.17)湯浪休憩所~五丁石~頂上:2.1㎞

横峰寺道は、59番国分寺(今治市国分4丁目)から60番横峰寺(西条市小松町石鎚)に至る区間で、指定は横峰寺北西の「湯浪休憩所」付近から「五丁石」付近までの山道約1,700m(一部区間を除く)。道際には舟形や角柱形の丁石とともに「文化12(1815)年」「文政2(1819)年」と刻まれた江戸時代の遍路墓もある。
88の札所をつなぐ四国遍路道は全長約1400㎞に及び、4県の中でも愛媛は延長500㎞以上と最も長い。今回指定された仏木寺道、横峰寺道について、文化審議会は「いずれも遺存状況が良好で、伊予における遍路道の実態を考える上で重要」と評価した。
2017年10月13日、五丁石~境内:0.4㎞追加
横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)
横峰寺への登り口。手前に水場(2016.4)
標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)
標高差約350mを登り、仁王門へ(2016.4)

11.65番三角寺奥之院道/別格13番札所仙龍寺(2017.6.17)3.8㎞

奥之院道は、四国88ケ所霊場第65番札所三角寺(愛媛県四国中央市金田町)から三角寺奥之院仙龍寺(愛媛県四国中央市新宮町馬立)を経て第66番札所雲辺寺)(徳島県三好市池田町)に至る道の一部である。
『四国遍路道指南』(貞享4年〔1687〕)、『四国遍路霊場記』(元禄2年〔1689〕)では三角寺には大師堂がなく、奥之院本堂が三角寺の大師堂と見做されていた。そのため、第65番札所三角寺で本尊十一面観世音菩薩に詣り、次いで弘法大師に参拝するため奥之院仙龍寺に寄ってから、次の札所第66番札所雲辺寺に向かった。今回、三角寺の境内を出たところから、4丁石までの間、約3.8kmを指定する。
別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)
別格13番:地蔵峠への遍路道(2016.5)
昔生活道/今遍路道(2017.11)
昔生活道/今遍路道(2017.11)

12.66番雲辺寺道(2017.2.9)2.16km

66番札所雲辺寺に至る遍路道のうち,約2.16kmの区間である。急峻な山道であり,沿道に残る数多くの丁石や道標と相まって,古道の景観を色濃くとどめる。
佐野集落から山道へ(2017.6.24)
佐野集落から山道へ(2017.6.24)
遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)
遍路脇の舟形丁石(2017.6.24)

13.72番曼荼羅寺道(2015.10.6)0.9㎞

71番札所弥谷寺(三豊市三野町)と72番札所曼荼羅寺(善通寺市吉原町)を結ぶ遍路道は曼荼羅寺道と呼ばれ、道中では行き先を記した丁石や石造物を見ることが出来ます。このうち、弥谷寺へ向かう石段を上った分岐のあたりから善通寺市碑殿町の蛇谷池の堤までの区間は、約0.9kmの山間部を通る未舗装の道となり、歴史的な面影が残る古道を歩くことができます。
江戸時代に記された『四国遍礼名所図会』や、明治時代に大日本帝國陸地測量部によって作成された地形図などと比較すると、現在の曼荼羅寺道の道程は近世以降ほとんど変わっていないことが判っています。現在でもお遍路さんが歩いており、昔からの巡礼の風景が垣間見えます。
茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)
茶屋を直進、72番札所曼陀羅寺への道しるべが(2016.4)
史跡 遍路道
史跡 遍路道

14.82番根香寺道(2013.10.17)2.3㎞

高松市と坂出市にまたがる五色台にあ り,歴史的な面影を残し,道沿いには道標(どうひょう) ・丁石(ちょうせき)等の石造物が残っています。道標は,主に白峯寺から根香寺の遍路道と別の札所寺院へ遍路道が分岐する場所に設置されています。丁石も道標と同様に重要な構成要素で,白峯寺から根香寺間の遍路道沿いに約 109m間隔で50基設置されていたようで,現在も41基が確認できます。
史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)
史跡遍路道 14世紀の摩尼輪塔(2016.5)
80番への分岐点 19丁(2016.5)
80番への分岐点 19丁(2016.5)

Ⅱ.境内編(5か所)

①.20番鶴林寺境内(2017.2.9)

「鶴林寺境内」(勝浦町)は第20番札所鶴林寺の境内地約4.6ha。標高490m付近に位置する山林寺院で,参道である鶴林寺道(国史跡)に建つ南北朝期の丁石が歴史の古さを物語る。
鶴林寺仁王門(2016.3)
鶴林寺仁王門(2016.3)
静寂できれいに清められた参道(2017.7)
静寂できれいに清められた参道(2017.7)

②.21番太龍寺境内(2017.2.9)

「太龍寺境内」(阿南市)は第21番札所太龍寺の境内地約6ha。標高約500m付近に所在する山林寺院で,「三教指帰」に登場する,史料上確認できる数少ない,空海修行の地である。鶴林寺とともに札所寺院として四国遍路の成立や発展過程を考える上で重要であり,諸堂と周辺の山林が一体となった景観は往時の四国霊場の趣を現在に伝える。
階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)
仁王門階段右脇に南北朝期の丁石(2017.7)
21番札所太龍寺太子堂(2017.7)
21番札所太龍寺太子堂(2017.7)

③.稲荷神社境内及び41番龍光寺境内(2017.6.17)

四国八十八ケ所霊場第41番札所龍光寺は、愛媛県宇和島市三間町字戸雁に所在する真言宗御室派の寺院で、江戸時代までの神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。明治時代初期の神仏分離までは稲荷社が札所であった。
稲荷神社本殿等の建築様式から18世紀後半の建築とされ、隣接する旧観音堂(現廣田神社)の建物も、その建築様式から18世紀初頭とされており、江戸時代中期には稲荷社としての今日に続く景観が成立していた。なお、江戸時代前期には既に、「立光寺」という名前で神宮寺としての龍光寺が成立していた。
参道。正面は神社。札所はどこ???
参道。正面は神社。札所はどこ???
墓地から龍光寺全景(21016.12)
墓地から龍光寺全景(21016.12)

④.60番札所横峰寺境内(2017.6.17)

四国八十八ケ所霊場第60番札所横峰寺は、愛媛県西条市小松町石鎚にあり、真言宗御室派の寺院で石鎚信仰にもかかわる霊場である。その創立については、明確な史料を欠いているが、同寺に所蔵されている金銅蔵王権現御正体(みしょうたい)(愛媛県指定有形文化財(工芸品)、昭和40年4月2日指定)は鍍金銅製で、平安時代末期頃の製作と推定されており、その頃までに石鎚山を信仰の対象とする山岳信仰の霊場として成立していた可能性が高い。
明治時代の廃仏毀釈により廃寺になるが、明治末年に現在地に復興され今日に至っている。
横峰寺仁王門(2016.4)
横峰寺仁王門(2016.4)
横峰寺本堂(2016.4)
横峰寺本堂(2016.4)

⑤.75番善通寺境内(2017.6.17)

弘法大師の生誕地として信仰を集める。
南大門と五重塔(2016.5)
南大門と五重塔(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)
重要文化財 本堂(2016.5)

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32番-33番札所雪渓寺 「浦戸湾渡しルート」を写真撮影遍路

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ブログUP日:2018/01/16

 2017年12月某日、32番札所禅師峰寺から33番札所雪蹊寺を写真撮影遍路。このルートは渡し船が楽しめる。



地図のアイコンなど

32番札所禅師峰寺境内から桂浜が眺望できる。33番札所雪渓寺はその丘の向こうで見えない!。

境内から桂浜、雪渓寺方面の眺め(2016.6)
境内から桂浜、雪渓寺方面の眺め(2016.6)

禅師峰寺から雪渓寺までルートは2つ。旧道&近年開通したバイパスルート。旧道は松原・ハウス沿いのへんろ道。バイパスルートは歩道がある。

埋立地に作られたバイパスルート(2017.12)
埋立地に作られたバイパスルート(2017.12)
旧道の遍路道(2017.12)
旧道の遍路道(2017.12)

浦戸湾ルートは渡し船ルートと浦戸大橋ルートの2つ。渡し船ルートは情緒がある。

種崎の街並み(2017.12)
種崎の街並み(2017.12)
渡し船時刻表(2016.6)
渡し船時刻表(2016.6)

渡し船は一時間に一本程度。事前に時間を調べておこう。なお、車は利用できない。

雪蹊寺に向かう歩き遍路さん(2017.12)
雪蹊寺に向かう歩き遍路さん(2017.12)
渡し船より浦戸大橋ルートを望む(2016.6)
渡し船より浦戸大橋ルートを望む(2016.6)

長浜港からは古い漁師町の街並みが

長浜艀(2016.6)
長浜艀(2016.6)
長浜港(2017.12)
長浜港(2017.12)

浦戸橋ルートは、桂浜・坂本竜馬像観光立ち寄りルート。このルートは渡し船ルートより1.5㎞程度長いよ!。

坂本竜馬像(2016.6)
坂本竜馬像(2016.6)
桂浜(2016.6)
桂浜(2016.6)

このルートには太平洋の大海原&日の出・日の入りが望め/遍路割引サービスのある「国民宿舎桂浜荘」があるよ!。

桂浜荘全景(2017.12)
桂浜荘全景(2017.12)
部屋・食堂から桂浜・大海原を一望(2017.12)
部屋・食堂から桂浜・大海原を一望(2017.12)

33番札所雪蹊寺は高知市長浜町の一角に

長浜の街並み(2017.12)
長浜の街並み(2017.12)
雪渓寺正面(2016.6)
雪渓寺正面(2016.6)

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2017年 歩きお遍路さんとの出会い 

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更新日:2018/01/13

私が2016年に出合い・情報交換を行ったお遍路さんは52組。2017年に出会い・情報交換をおこなったお遍路さんは68組。
2017年の交流状況を集計した結果は、次のとおり。


◇前年に比べ外国人お遍路の大幅な増加(5組⇒11組)
地元四国の歩き遍路は昨年同様少ない(3組⇒3組)
◇前年に比べ逆打ちお遍路の大幅な減(5組⇒1組)
◇60歳以上のお遍路さんは通し打ちが多い。働き盛り中年お遍路さんのほとんどが区切り打ち。DB_1101

DB_1102

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遍路宿過疎地のオアシス『民宿ロッジおざき 24番手前17㎞』

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ブログUP日:2018/01/10

徳島・高知県境から室戸市佐喜浜(ロッジおざき)までは約25㎞。高知の甲浦集落を過ぎると集落は殆ど無い。当然、遍路宿もない遍路宿過疎地帯。唯ひたすら海岸線の国道を遍路しなければならない。そんな遍路過疎地にあるオアシスが「民宿ロッジおざき」&「民宿徳増」だ!!!。遍路シーズンは予約が難しい宿だ。 また、お遍路さんの気持ちを理解し送迎サービスを提供しており歩き遍路にとって本当にありがたい!。


東洋町にある「東洋大師」を過ぎると左に紀伊水道を望み、唯ひたすら国道55号線を遍路。忍耐力が必要だ?!。

東洋大師(2016.3)
東洋大師(2016.3)
国道距離表示99㎞地点から室戸岬を望む(2016.3)
国道距離表示99㎞地点から室戸岬を望む(2016.3)

佐喜浜集落を通過し少し遍路すると前方に夫婦岩が見えると遍路宿過疎地にあるオアシス「民宿ロッジおざき」はすぐそこだ!。

夫婦岩手前のロッジ尾崎(2017.12)
夫婦岩手前のロッジ尾崎(2017.12)

「民宿ロッジおざき」は大海原に面している。

ロッジおざき(2017.12)
ロッジおざき(2017.12)
ロッジおざき正面(2017.12)
ロッジおざき正面(2017.12)

食堂とトイレ

食堂(2017.12)
食堂(2017.12)
トイレ(2017.12)
トイレ(2017.12)

訪問したのは夕方であった為、お遍路さんが。部屋&風呂の写真は後日UP予定。


『民宿ロッジおざき』は 和室:6室。
位置図:Googleマップ
Wifi:◎。トイレ:ウオシュレット。風呂:普通
洗濯機:お接待。 乾燥機:100円。
朝食:6時00分~
料金:一泊二食:7,020円。 素泊まり:3,500円
電話番号:0887-27-2065

特別サービス:送迎サービス有り。迎え地点は事前に相談してね!

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ブログUP日:2017/11/01

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29番-30番札所善楽寺「田舎遍路道」を写真撮影遍路

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ブログUP日:2018/01/07

2017年12月14日、29番札所国分寺から30番札所善楽寺までの写真撮影遍路をブログUP。この区間は2つの遍路道。私はこの田舎遍路道を推薦するよ!!!。



地図のアイコンなど


29番札所国分寺仁王門を出て真直ぐお遍路

国分寺仁王門を真直ぐ遍路(2017.?)
国分寺仁王門を真直ぐ遍路(2017.?)

Sample Content

国分寺前の道しるべ(2016.6)
国分寺前の道しるべ(2016.6)

300m程直進すると道しるべ。右折し、田舎の遍路道を

田圃道を200m程遍路し、善楽寺へは右折(2017.12)
田圃道を200m程遍路し、善楽寺へは右折(2017.12)
仁王門から300m地点?(2017.12)
仁王門から300m地点?(2017.12)

田舎の遍路道、国道32号線の高架下を遍路

2つのルートが合流。善楽寺へ(2017.12)
2つのルートが合流。善楽寺へ(2017.12)
国道32号線は高架下を遍路(2017.12)
国道32号線は高架下を遍路(2017.12)

物部川沿い、田舎の遍路道を辿り、県道ルート遍路道と合流。

左に物部川、右に岡豊城址の丘を遍路(2017.12)
左に物部川、右に岡豊城址の丘。のんびり遍路(2017.12)
国道ルートとの合流地点(2017.12)
国道ルートとの合流地点(2017.12)

国道32号線沿い、住宅地を遍路し、再び国道32号線に出て、横断し田舎の遍路道を経由し、30番札所善楽寺へ

善楽寺への遍路道へ(2017.12)
善楽寺への遍路道へ(2017.12)
善楽寺へ後200mの遍路道(2017.12)
善楽寺へ後200mの遍路道(2017.12)

30番札所善楽寺に到着

左の車道から善楽寺へ(2016.6)
左の車道から善楽寺へ(2016.6)

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「とある歩き遍路の道しるべ」へのアクセス分析

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ブログUP日:2018/01/04

「とある歩き遍路」のオープンは2016年8月17日。2017年12月31日で丸16カ月&15日(延べ502日)。アクセス数は44,005件、閲覧数は110,690項。これを分析してみてみると。


現在の一日当たりのアクセス数は約150件。閲覧数約400頁
人気のコーナは遍路宿情報&遍路道情報?
DB_1103

月別状況は
秋のお遍路シーズン10月のアクセス数は約180件。
閲覧数は約500件にも達した。驚き!!!。
DB_1104

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明けましておめでとうございます「眺めNO1?の『国民宿舎桂浜荘(32-33番)』」

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ブログUP日:2018/01/01

新年明けましておめでとうございます。今年も「とある歩き遍路の道しるべ」よろしくお願いいたします。
『国民宿舎桂浜荘』は、高台にあり「大海原からの日の出・日の入りが望める」Goo!!!な宿。このコーナーで紹介する宿で一番素晴らしい眺めでは!?!。お遍路割引も有るよ。
チョット坂本龍馬像等を観光してみたいお遍路さんはここで宿泊してみては!!!。


『国民宿舎桂浜荘』は太平洋に面した高台に。眺めは最高!!!

桂浜荘全景(2017.12)
桂浜荘全景(2017.12)
部屋・食堂から桂浜・大海原を一望(2017.12)
部屋・食堂から桂浜・大海原を一望(2017.12)

受付、食堂も明るく。眺めもGoo!!!。

フロント(2017.12)
フロント(2017.12)
太平洋一望の食堂(2017.12)
太平洋一望の食堂(2017.12)

部屋は和室。

和室(2017.12)
和室(2017.12)
絶景部屋。大海原・禅師峰寺も(2017.12)
絶景部屋。大海原・禅師峰寺も(2017.12)

大浴場もGoo!!!。トイレはウオシュレット。

いい湯&いい景色(2017.12)
いい湯&いい景色(2017.12)
部屋のトイレ(2017.12)
部屋のトイレ(2017.12)

『国民宿舎桂浜荘』は 和室(トイレ付き)
位置図:Googleマップ
Wifi:◎ 部屋はソフトバンク。トイレ:ウオシュレット。風呂:大浴場
洗濯機:100円。 乾燥機:100円。
朝食:6時45分~
料金:一泊二食:7,990円(遍路割引料金)。
電話番号:088-841-2201

特別サービス:平日お遍路割引有り(事前にご確認願います)。納経帳を提示してね!。

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